関西弁では「面白い」を「オモロイ」と言う。
考えてみると私は日常会話のなかで、この「オモロイ」を連発しているようだ。
友人が「村上春樹さんとの対談、どやった」と訊く。
「ああ、オモロカッタ」というような調子である。
そして、このオモロカッタという一言だけで、友人は私が村上さんという人を、
そしてその対談をどのように感じているかを相当に正確にキャッチできるようだ。
従って、何かにつけて「オモロイカ、オモロナイカ」ということが極めて大切な価値の指標になる。
映画にしろ書物にしろ、仲間に何か意見を聞かれ、「オモロナカッタ」というと、
それは相当に価値のないことになる。
ともかく親しい人との会話で「オモロイ」という形容詞を使わずに過ごす日はないくらいである。
私は子どもの本が好きで、割に読んでいて、それについて講演をしたりもする。
子どもの熱心な読書サークルの方に
「先生は子どもの本を選ぶときに、どんな基準でお選びになりますか」と訊かれて、
気安く「オモロイものは読みますが、オモロナイものは読みません」と答えた。
この方はマジメな児童文学研究者だったのだろう。
「われわれは児童文学を人生の糧として大切に思うから読んでいるのです。
先生のような興味本位で読まれるのは困りますね」ときつくおっしゃって、
私はまったく恐縮してしまった。
しかし、心の中ではガリレオのように、
「それでもオモロナイものはかなわん」とつぶやいていた。
どこかで「マジメも休み休み言え」なんてことが書いてあったなと思いだしたりした。
人生の残りが少なくなったこともあって、
私はもうオモロナイことはしないでおこう思っている。
先の人の言葉を用いると、残りの人生を興味本位で生きようとカタク決心している。
人生の糧とやらの食べ過ぎで肥満になったら大変だ。
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★「こころの声を聴く」
河合隼雄著 新潮文庫 476円+税 平成10.1.1.初版 平成22.1.10.十三刷
P.9~10より抜粋
オモロナイものを捨てるのは、イイ考えだ。
だけど、それも程度問題で仕事のこととなるとそうもいかない。
と、普通は思う。
このあいだオイラは、仕事のことで本社に呼ばれて、
厚労省との絡みで登録販売者への講師をしてくれと言われた。
オイラの他にも数十人が呼びつけられていたが、
オイラだけはどーしてもその仕事が嫌で、ただ一人、断ってしまった。
ホントに「マジメも休み休み言え」ってんだ。。
こうにもギャラが安いと、どーでもよくなってくる。
会社からの命令とか、別にどーでもいい。
不思議なもので、そんな風にしていると、
知り合いの同級生の兄貴でもある社長から、うちに来てくれないかと電話が来た。
だいたい数年おきに、必ず電話が来る(笑)
ギャラもずっとイイ提示をしてきたので、意思が傾きつつある。
正直、副社長にも近い待遇だった。
転職サイトの話は、てんで話になっていない中、
(その社長も同感だという。労使ともに転職サイトへの不満が大きくなっている)
こういうのを運がイイというのだろう。
今いる店舗からの移動命令が出たら、即刻決断するだろう。
ジレンマなのは、今の店舗がオモロイってことだ。
第一類販売比率コンクールでは、3カ月連続でトップになった。
これで通算7回くらいトップになり、SVの順位もほぼ最下位から平均を突破して、
上から数えて何番目にまでなった。
他にもオモロイことが積み重なっていて、この店舗を去るのはやっぱりオイラには辛い。
なので答えは、「もしもこの店舗から移動命令が出たときに決断する」
になるのだと思う。