11月3日(土)、文化の日、よく晴れた日である。午後になり、1時間程、時間をかけて、カレーを作り、運動を兼ねて、自転車で広瀬の田んぼを走った。何時も見る、赤城、榛名、妙義山や、秩父連山、そして遠くに白根山や、その右に日光連山と思える山並みが見える。
良く晴れた日で、上州特有の、空っ風が吹き始めた。田んぼの刈り入れも終わり、冬が近いことを、感じる。どうも、無性に寂しくなる。何だか、自分の人生も終わりかと、思うようになる。まだ、直ぐには、終わらないと思っているが、これは分からない。
「人生、定年後が面白い」と、口癖にしていたが、考えてみると、自分で自由に生活できるのであるが、これが、また実に難しいことが感じられる。人間いくら頑張っても、たかだか、80年か90年。
ここ最近、思うようになったが、最後の一曲は、一体、どんな歌を選ぶだろうか。「あなたに、死ぬ前に、最後の一曲を選べ。」と、言われたら、何を選ぶだろうか。
10曲とか20曲なら、選べるが、1曲だけとなったら、難しい。どうしてこんな事を思ったかと言うと、雪村いずみの「テネシーワルツ」を車の中で聞くたびに思う様になったのである。もっとも、この人を知る人は、ほとんどいないだろう。太平洋戦争後に、進駐軍の兵士がよく、祖国を思いながら聞いたと言われる歌である。昔のレコードからCDに入れたのであるが、レコード盤の針の音がそのままに聞こえ、いかにも哀愁を誘ってくる。
わたし自身、この歌は幼い頃に聞いたので、その頃は何とも思わなかったが、何故か、心に引っかかる歌である。雪村いずみはどういう人か知らない。アメリカに渡ったのかもしれない。日本を離れて一人、孤独のまま、この歌を歌ったのかもしれない。何故かそんな空想を浮かべている。事実は分からない。
しかし、残された、時間である。どこまでやれるかわからない。体力は落ちてくる。生きるとは、こんな、たわいのないものかと、思える。しかし、生きてみよう。あわてなくていい。そのうちに、お迎えがくる時まで。そして最後の一曲は。