秋子の退職(19)24年10月15日(月)9時52分

堅実さん

明彦なら、いよいよ追い詰められれば、生きるために、その仕事は深夜作業でもパートでも、清掃作業の便所掃除でも、道路工事の端に立つ交通整理の業務でも良いと思っている。仕事を選別しなければ、何とか仕事にあり付けるだろう。

 

仕事を選りすぐりしなければよいのだ。収入が低ければ、低いなりの生活をすればいいんだ。いざとなれば、そうすればいいんだ。そんな気構えが、今でもある。それこそ、その気構えが、生きるための底力ではないか。そのためにはどうしよう。何をやるにしても、健康第一である。早寝、早起き、朝ご飯である。睡眠、食事、運動である。

 

こんな風に、ここ数日、あるいは10日余り、秋子の退職話から始まって、生きるためにどうするかと、いろいろ考えてみたが、秋子は、明彦とは違う。どう考えているのか不明である。もやもやとした雲か霧が周囲を漂う。暗中模索とは、このことだろう。

 

しかし、落ち着いて考えてみれば、これは明彦のことでは無く、秋子のことである。これから生きていくのは、秋子である。父親としては、当然悩むが、ここで親としてしっかりしていなければならない。

 

子供は親がしっかりしていればそれだけで、心の安心があると思う。親は外見だけでも、平然としていよう。例えば、強迫性障害を持っている人の生きる方法で、森田療法は、外見を整えよと説いている。不安や恐怖心があるのは、人ならば当然有りえることである。不安や恐怖心を抱えながらも、生活をしていくことこそが、生きるには大切だと、説いている。今の明彦には、これも重要である。

 

もやもや、苦しみ、悩み、不安、これ等のことが有って、あたりまえなのである。それが人である。それでも冷静に対応してみよう。例え、心では、錯乱していても、うわべは、平静を頭の中で描こう。そうすれば、冷静になる時が、必ず来るはずである。時をみつめ、精神を集中し、考え抜けば、不思議な力が、よい答えを出してくれる。必ずこれは、良い方向に向かう。そのように、創造主にお願いしよう。やれるだけの事はやってみよう。神の炎は燃え上がる。

 

そうしながら、秋子について考えてみよう。必ず、よい方法が見つかる事を期待して。

 

 

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