しかし、今こんな事を言ってみても、何を言っているんだと言われるかもしれない。今困っている現状には、どうするのかと、改めて問うてくるだろう。それに、社会が複雑になっていることにより答えは、出しづらいかもしれない。複雑なストレス社会でもある。ここでの問題は、今現在、そしてこの先、この世で、人はどうするかである。明彦自身で考えてみよう。
適切な答えが無いが、ここで、明彦は意外と、物事を楽観的に考える癖がる。片や、慎重すぎる程、神経を使っているのに、そうかと思うと、世間がびっくりするような事を、平気でやってきたかもしれない。この明彦なら、明彦の持つ、明彦自身の動物的本能で、何とか、生きる方法を捜すと思う。
「野生に戻れ、野生に戻れ」が、明彦の口癖でもあった。明彦はそのぎりぎりの危険な処で、もうこれで誰もが駄目だと思っていたのに、その最後まで諦めないという粘りから、何とか持ち堪えたことが何度かある。それは幸運もあろうが、うまくいったとは言えないかもしれない。それは失敗とも言える。明彦のやってきた事は、ほとんど失敗だったかもしれない。それは、うまくいったとは言わないが、何とか方向転換をし、あるいは現状の生活を維持して、そして、その所与の社会の中で、今まで生き抜いてきたのである。
このことは確かなことである。失敗かもしれないが、今は何とか生きている。明彦自身、社会の底辺で何とか生きているが、そして生きるために、我慢して生きてきたが、今生きているのである。考えようによっては、それで十分ではないか。人一人の存在は、かつて哲学者パスカルが言ったように、ゴミやホコリみたいな存在で、これを攻撃するには、全宇宙が武装するには及ばないと言った。人、一人の存在はそれほど、ちっぽけなものである。ならば生きる上でつまらぬプライドや見栄は捨ててしまおう。宇宙から見れば、ゴミやホコリとも言える者が、不必要なプライドや見栄を持った処で、それは何も無いに等しい。
つまらぬ事にこだわらず、もっと物事を柔軟に考えれば、生きやすいのではないか。そうすれば、身体さえ丈夫ならば、今の世の中でも、何とか生きられる方法はあるのではないか。