秋子の退職(16)24年10月10日(水)21時27分

堅実さん

ここで、世の中を恨んだり、悲観したり、否定しても始まらない。しかし、少しくらいは、心の中では恨んでよい。心の中では否定してよい。心の中では泣いてよい。そのくらいの感情は持つべきである。むしろその悲しみや怒りの感情などは、生きる上で必要であろう。逆にこの人の持つ、様々な感情が無ければ、人は生きられないかもしれない。

 

このようにある程度の感情が残っていなければならない。このように生きるには、有る程度の心の弾力性は必要であろう。しかし、その後である。その先である。与えられた生活環境の中で、己の感情を出してからである。今までの感情を思い浮かべ、その感情を整理してからである。今までの自分を整理してからである。作戦は、ここから始まっている。

 

では、その先どうするかから始めよう。人の与えられた生活環境は、所与のものである。まず始めには、あるいはとにかく、これを否定も肯定もせず、とにかくその社会の中で、人は生きなければならない。ありのままに、冷静に社会を、自分の環境を認めなければならない。それから、人はどう生きるか、どう行動するかである。

 

確かに今の日本社会は、かつての昭和の高度成長時代から比べ、平凡に生きるのが、難しい世の中である。平凡と言うけれど、この普通に生きることすら、難しい世の中になっていると思う。けれども、この事だけを見ないで、いろいろ考えてみよう。あまり狭く考えないで、幅をもって考えてみよう。

 

例えば、日本の大昔から考えよう。現在は、古代の前史時代や、縄文時代や、奈良、平安時代と比べれば、科学技術の発展により、はるかに生きやすい社会になっていると思う。一つ例をあげれば、伝染性疾患においては、はるかに、死亡率が少ないのである。もう一つ挙げよう。電気の利用である。この電気により、冷蔵庫や携帯端末、テレビやパソコンが使えるのである。これ等は、生活する上ですごく便利である。

 

 

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