秋子の退職(15) 24年10月9日(火)21時48分

堅実さん

世の中が、これこれ、しかじかの理由が有るので、自分にはどうにもならないかもしれない。しかし、これこれ、しかじかの理由の有る世の中で、人は生きているのである。生きようという、希望と途中で投げない気力があれば、生きる道は見つかるのではないか。

 

 こう思う。必ず、どこかにこの苦難を打ち破る、何かがあるはずである。出口が無いようでも、捜せば、どこかに出口はあるはずである。とりあえず、こうしよう。生きるための、対策を練る上で、整理しながら考えよう。うまくいくかどうかは、また、別の問題である。

 

まず、人が生きる上で、この世の中を所与のものとして、認めなければならない。生まれた時からそうである。人はどこに生まれるかは、人には決められない。たまたま、ある社会環境に生まれ出てきたのである。

 

それからも成長過程で、人は数々の制約のある生き方をしなければならなかった。家庭環境、社会環境、職場の環境である。更にその後も、勝手気ままに生きられない複合的な制約を受けながら人は生きているのである。社会の制約を受け、組織や会社の中で、人は我慢して生きているのである。これが人である。このことは個人にはどうにもならないのである。

 

 

堅実さんのブログ一覧