秋子の携帯機器販売においても、同じであろう。店長が言っていた。「むしろ、携帯の機械そのものの、販売価格は、家電量販店の方が、安い。」しかし、その後である。180分もお客は待っても、秋子の販売店から携帯を買うのは、その操作の説明が、秋子の販売店の方が、優れているからではないのか。180分待っても、お客にはそれ以上の得をすることが有るのである。だから待つのである。お客は操作の説明が良く分かるので、時間を我慢しても、秋子の店を選んでいるのである。
ここなのである。秋子の店は、機械を説明できる従業員がいるのである。ここを見逃してはいけない。長期的には、会社の経営や売上高を見た場合、従業員が次から次へと去っていくのは、いかに会社は、人材を確保するという、基本的観点が抜け落ちているとしか、考えられない。
従業員を消耗品と同じく、考えてはいけない。商品は、無くなれば、次には、同じものを仕入れればよいが、人材は居なくなれば、それ以上の人材を求めるのは難しい。また、一から社内教育をしなければならない。これは、農産物の種を撒いてから、収穫するまでの期間と似ている。丹念に、丹念に面倒をみて育てるのである。
すこし、それてしまうが、秋子の社労士の受験勉強も、自らの人材を、育てていると言える。自己啓発と言われるが、これは社内教育では無く、個人そのものの、人材育成なのである。店長が明彦に言った「競争心がある」ということでは無く、自らを高めることと考えられる。その先には、自己実現ということになろう。