堅実さんのブログ
日中国交正常化から40年 9月30日(日) 10時18分
40年前の今日、9月27日、日中国交正常化の式典が、中国の北京で行われた。日本からは、田中角栄総理が出席した。その夜の晩さん会が、ラジオで流れたと、記憶している。その放送中、私は夜の道を自転車に乗って、家路の途中であった。星がとてもきれいだった。
その2年程前、米国のキッシンジャー大統領補佐官が、北京に飛び、米中国交正常化交渉に臨んだ。これは当時の日本政府を驚かした。なにしろ、日本政府には、事前に何の連絡も無かったからである。当時は米ソの冷戦状態であった。日米安保はどうなっているんだとか、日本国民が不安視したり、ソ連との冷戦はどうなると思ったものだった。
この頃から日米貿易摩擦の火種が燻りはじめた頃であった。この年はニクソンショックの年でもあった。ドルと金の交換停止、1ドル360円だった交換レートが1ドル308円(確かそうだと記憶)に切り替わった。今思えば、これが、円ドル為替の固定相場制から、変動相場に移行する序曲であった。
40年前の9月27日に戻そう。その日は、ここ群馬県は、星の綺麗な日であった。21時頃だろうか、月は出ていなくて、星ばかりが輝いていた。(注。当時は街灯が少なく、多くの星が、沢山見えました。今はこの星が、数えて幾つくらいしか見えません。周囲が明るすぎるのです。これも時の流れです。)清々しい夜で気分が高揚していた。自転車でラジオを聞きながら、桑畑と、田んぼ道を、走りながら、こう思ったものだった。とても楽しかった。
そうだ、世界の人はお互いに、仲良くしなければならない。もう、中国との、あるいは共産主義国との、いがみあいをする時ではない。皆、仲良くすべき時が来たのだと。新左翼(核マルとか、中核とか)が台頭し(これも、一時のブームで終わったが)、連合赤軍事件もこの頃であり、それでも理想主義に近い考えが、実現に近いと、思ったものだった。
その理想主義は平和主義であり、争いの無い世界の中に生きる、究極の共産主義であった。しかし、この理想の共産主義と現実の共産主義との距離は大きく、今では共産主義は、悪魔の主義であり、国民を弾圧する暴力国家だと、思っている。
その日は、今日の様に気温が25度というように高く無く、20度くらいだと記憶している。もう、秋のただ中であり、長そでと、ジャンパーを着ていたと思う。
その感動は、お互いに仲良くいきるという目標は、早合点の未熟の思いであり、このある種の「理想の共産国家の、真に共産国家の考え」は、その後、打ち砕かれ、騙されたと思い、現在に至っている。
そう、日本共産党の言っている共産主義は、党員と国民を騙す、デタラメな、上辺の共産主義であり、真実を語らない嘘の共産主義だと思っている。
そして、40年が経過した。1975年頃からの、中国の鄧小平の現実主義路線が成功し、中国の近代化路線が開花している。この間の、米国の没落ぶりは大きい。もはや、米国は世界の警察の力は無く、当時の超大国、断トツに強い国が、少しずつ低落傾向にある。
そして、この間の中国の台頭は著しく、経済力もそうだし、今年になり、その軍事力で、ついに、空母建造にまで、至ったのである。2年程前か、このみん株で、太平洋上において、米中の空母が対峙するだろうと、予想した。それが、現実になりつつある。
尖閣列島の領土争いも、背景に中国の経済力、軍事力の強さが、ある事を忘れてはならない。この中国の強引とも言える、領土の主張争いは、共産主義国のベトナムとも、島の領土争いが有ると、留学生から聞いている。力の強い国の傲慢さが、かつての米国であったように、これからは、中国に、それこそ、次ぎから次へと見られるであろう。これからは、この大国、中国とどう向き合うかである。
経済関係においても、日中とも、お互いに相手が無ければ、損失の出ることも忘れてはならない。もう相手が必要な、無ければなければならない関係になっているのである。国交断絶の事態になれば、日中とも大打撃になるのである。このことを忘れるべきではない。
今は、中国人は、感情的に尖閣は、中国領土だと言っているが、このことは、中断(棚上げ)して、お互いに利益の出る方向を探る時である。皮肉な40年後になってしまった。
(これは、昨日の、日記を加筆、修正したものです。)
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