出会いがあり、すれ違いあり、それぞれ・・・・
良寛は諸国修行ののち、1795年(寛政7年)、38歳で越後に
帰る。翌年から国上五合庵に18年。更に乙子神社境内の
草庵に約10年、最後は、三島郡島崎の木村元右衛門の庵
に住んで74歳で息を引き取っている。
鵬斎は文化5年、妻を亡くす。翌年日光を訪れそのまま信州
から越後、さらに佐渡を旅した。この間、出雲崎にて良寛和尚
と出会いがあり、3年にわたる旅費の多くは越後商人が賄った
という。話題の多い人物である。
一茶が文化9年11月信州永住覚悟し帰郷する。良寛が五
合庵時代の56歳の頃である。一茶が亡くなったのは1813年
文政10年、65歳である。良寛はこの時、島崎の草庵にいた。
その間、15年の間近くであったが出会いはなかった。
良寛に妻(山本家家譜によると死後法名は釋尼妙歓)が居た
とする説が最近出ている(この妻は出家前に離縁)
また、弟子の貞心尼に対してほのかな恋心を抱いていたのか
一茶は織本花嬌にどんな思いを抱いていたか