土曜の昼下がり,『文藝春秋』10月号を拾い読む。
ちなみに同誌,読者の平均年齢が65歳ぐらいとか。巻末の読者投稿欄を見ても,87歳,73歳,73歳,74歳,88歳,69歳。う〜ん,過疎の村の寄り合いのようだ(苦笑)……,などということを書きたいのではない。
歌人の 俵 万智が「息子と二人,石垣島に暮らして」というエッセイを寄せている。東日本大震災の被害を避け,那覇を経て昨年4月から石垣島に居住しており,その様子を綴った一文である。その最後の方の数段落を以下に引用する。
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かつて私は「どんなお子さんに育ってほしいですか?」と聞かれたら「人に迷惑をかけない,自立した人間になってほしいですね」と答えていた。そういうのが生きる力だろうとも思っていた。
が,震災以降,ほんとうの意味で誰にも迷惑をかけず,一人で生きていくことなどできないのではないかと思うようになった。もちろん迷惑は,かけないにこしたことはない。が,どうしようもない場面というのは誰にでもあるだろう。そういうとき,「こいつにだったら迷惑かけられてもしかたないな」「こいつのためなら人肌脱いでやろう」と周りから思われる人に,息子にはなってほしい。
自分一人で生きるすべを身につけることも大事だ。けれど,いざというときに,助け合える人と人のつながりを築けること,それこそが生きる力ではないだろうか。
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人とつながり合える力というのは,人生がピンチに陥った時,奈落の底に落ちていかないで済む一種のセーフティ・ネットの役割を果たすのではないか。
ある知り合いの娘さん,努力の甲斐あって日本で最も有名な大学に入学したものの学生生活に適応できず心の病を患い,ほどなくして自死した。一人娘を失ったショックもあってか父親は数年後に病没,母親はそれを追うかのように自死。
私自身は面識の無かったその娘さんに,高校や大学時代親しい友だちはいたのだろうか。また残されたご両親に,真に力添えして貰える親族や友だちはいたのだろうか。
また,私がかつてひとかたならぬお世話になったある校長(故人)は若かりし頃,幼い息子さんを一人連れて離婚した。しかし数年足らずで良縁を得て再婚(相手は初婚),新たにお子さんにも恵まれ,長らく仲良く幸せな家庭生活を営んだ。私はその奥様も直接存じ上げており,「良縁」は文字通りの意味合いである。
さて1996年,当時の文部省が鳴り物入りで言い始めた「生きる力」について,随分多面的に論議されてきたが,ある方による次の定義が私の頭にはもっともスンナリ入る。
> 人生のピンチをしのいでいける力
いじめという「人生のピンチ」,パワハラ・リストラという「人生のピンチ」,老後の孤独という「人生のピンチ」。それらを凌いでいける生きる力というのは,人とつながり合える力と多分かなりの部分重なり合っているのだろう。