時間が無い(2) 24年9月11日(火)20時05分

堅実さん

娘婿は、何となく生きていて、暇さえあれば、頭の中は、自分だけで遊ぶことだけである。一体、何を考えているのかと思う。極めて幼稚っぽいのかと思っている。そしてお互いに家庭のことは、相手が何もしないと言い争って、不満だらけである。

 

 しかし、これはどうにもならない。なにしろ2人とも、頭の中で考えている内容が、普通の親が、子供に対して出来ることとか、子供の事を考えて生活するのとは、だいぶ異なる。一口で言えば、親としてどうかしている、通常の事が出来ない、異常であるとしか言いようがないのだから。そこには、幼稚な無責任が漂う。

 

子育ては、重労働では無いが、時間ばかり取られる。いや重労働かもしれない。一日中、時間を取られる。そんなことが明彦には分かっているので、その娘の家族4人が、前橋に来る時だけは、孫の面倒を、婆と明彦の2人で面倒をみるが、これは、ほんの一時だけである。根本の問題解決にはならないのである。

 

 こんな、どうしようもない夫婦が、お互いに離婚するというのだから、もう好きなようにするがよい。しかし、気の毒なのは孫である。

 

そして娘婿の親父は、家庭内のことは嫁がすべてやるのがあたりまえという考えである。家の中が出来ないのは、すべて嫁が悪いと言っている。これも、どうかしている。男は仕事、嫁は家の中の全てをやらなければならないと考えているのだから、これまた困ったものである。この婿の親父の考えが、娘婿が家で子育てをしない原因になっている。大家族であれば、それも一部可能かもしれない。大家族であれば、子育てに幾分の余裕が生まれる。しかし、家族構成が大家族とは、異なるのである。

 

今の世の中で、核家族の母親は、孤軍奮闘しているのである。そして育児の疲れから、育児ノーローゼとか、育児の悩みに耐えかねて、子供の虐待やら、育児放棄やら、出てくるのである。

 

昭彦君の娘夫婦の場合、婿の父親は、我が息子が可愛くて、嫁が全てといって、いいくらい、悪いと考えているのである。ここには、息子への過保護であると思えることの一部が、ちらほら見える。あるいは古風な考えであり、今の時代感覚に合わない、ずれた価値観なのだろう。しかしまあ、これは、今後なるようにしか、ならないだろう。まあ、考えるに、この二人は離婚しないで、無責任な我がままを言い、その度に言い争っているのだろう。

 

その娘と孫の3人は、午後、両毛線で栃木に帰っていった。その後、運動不足解消と、図書カードの購入のために、自転車で、「けやきウォーク」に向かったのである。時間はどんどん、過ぎ去っていく。自転車に乗りながらも、時間が無い、時間が無いと思っている。

 

こんなことに、振り回されて、明彦君の時間が失っていくのである。しかしまあ、世間を考えてみれば、やりたいことも、やれないで生きている人は、数えきれないだろう。家庭の事情で、勉学も出来ずに、中学から仕事をしなければならない人とか、子供の育児では無く、親の介護で、独身でいた女性に話などは、聞いている。その親が亡くなった時には娘は50歳とかである。

 

家庭や家族のことで、こんなことを、言い出せばきりが無い。しかし、明彦君にはやらなければならない事、これだけは死ぬまでに完成させたいと、思うことがある。本当はこんな事にかまっちゃいられないのである。その夜の夕飯は、明彦君は無口で、もくもくと食べた。つまらないことを言えば、時間を浪費すると思えたからである。

 

 

 

 

 

4件のコメントがあります
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堅実さん

子育てお父さん  へ

 

ありがとう、ございます。

 

方や、親の目から見た子供夫婦の、困ったものだという内容です。

また、現在の核家族と昔の大家族の比較をと、思っております。

 

今、思いついたのですが、芥川龍ノ介の「藪の中」みたいな風にしてもと、思いました。これは子供の本音が聞けないです。親としても、遠慮がありますので。

 

あるいは、淡々と、父親から見た、子供夫婦というドラマ風でもと、考えております。

 

いずれにしろ、小説は、読者が何かを感じ取ってもらえればと、思います。それは自由です。

 

読者は、30歳位からを、考えております。勿論、若い人が読んでもよいのですが。

 

これとは別に、題名は決まっているのですが、社会の不条理、人の悪さ、愚かさを扱ったものを、下書きは2年程前から、書いております。「○○の夢想」という題です。

 

しかし、私はいい加減な生き方をしておりますので、これが今後どうなることやらです。

 

9月12日(水)22時55分

 

 

 

堅実さん、こんばんは

 

予想が外れました。

書きたいことは、核家族の子育ての問題だったんですね。

核家族を外部から主人公の主観で観察するとなると、外部からの観察である以上、断片的な観察とならざるを得ない。

小説としては難しい視点ではないかと思いました。

 

子供夫婦が離婚すると言い合いながらつなぎ止めている絆は何か。

お互いにもっと遊びたいと思っていながら最低限の生活、子育ては続けている。

外部からの観察ではだらしなく見えていても、もっとしっかり生活し、子育てをする理想があるのではないか、子供夫婦の内面には彼らなりの理想があるのではないか。

他者への甘えと見えても自らの欲望への貪欲さだけでなく、現実の生活の重みに耐えかねてやむを得ずの面が無いだろうか。

肉親の目ということでなく、他人の目で見たときには、立派な夫であり、妻であり、立派な職業人であり、立派な主婦に見えていたりはしないだろうか。

 

私小説ということから主人公の目を通じて観察するという視点にならざるを得ないのだと思いますが、色々な視点で書いてみると案外書き易いのではないでしょうか?

 

素人の勝手な思いつきですが、頑張って下さい。

堅実さん

子育てお父さん へ

 

コメント、有難う、御座います。

 

御指摘のように、これは、これから、計画している私小説の下書きでもあります。

 

この部分だけでも、会話とか、周囲の環境の背景とか、追加すれば、短編になります。

 

現在の、核家族の子育ての、問題を、具体的に自分の、子供夫婦をとうして、感じたことです。

 

見ていて、ああ、これは、どこの、核家族でも、少しは有る事柄です。

 

考えまするに、人は、かなり、自分勝手な生き物らしいです。

 

ただ、言葉の表現が、貧弱で、国語力の無いのが、悩みです。

 

修正すれば、修正するほど、その奥に潜む、現代社会の、家族の矛盾、あるいは、社会現象が、頭に浮かび、このままでは、「ならくの底」に転落していくという、気持ちになりました。

 

ついでに、言いますと、子供夫婦は、結婚当初から、離婚する離婚すると言っていて、それが数年も続き、この先、相変わらずのことを言うと思います。そんなことを言っていて、生活のために、打算で一緒に、未だ、生活しております。

 

(9月12日、10時37分)

 

主人公が自分自身に問いかける独白調で物語が進んでいく。

この作品は、何か小説の序章を読んでいる感じですね。

このあと、主人公が、やりたいことをやる。

自分のために生きている娘夫婦と対照的な内容であろう主人公のやりたいことは何か。

なぜ時間がないと焦るのか。

そこに娘夫婦の問題をどう絡めてくるか。

 

この先を書いてみても面白いんじゃないでしょうか。

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