日本海側古墳に大和政権影響か
胎内市にある4世紀前半の古墳から当時の大和政権があった古墳と同じような鏡や刀などの豪華な
副葬品が見つかり、最初の統一政権とされる大和政権の権力の広がり示す貴重な発見として注目
されます。
副葬品が見つかったのは、胎内市にある4世紀前半の円墳 「城の山古墳」 で、6日、報道関係者に
発掘調査の現場が公開されました。
古墳からは、埋葬された人物を納めた木の棺 「木棺」 のそばに鉄製の刀ややりなどのほか、銅鏡や
勾玉などの副葬品の数々が比較的、良好な状態で残されていました。
これらの副葬品は、最初の統一政権とされる大和政権の中心があった奈良県にある古墳で見つかって
いるものと共通していることから、調査に当たった胎内市教育委員会では、埋葬されたのは、当時、
この地方を治めていた権力者で大和政権と関係が深かった人物だったのではないかと見ています。
4世紀は、大和政権が勢力を広げる時期に当たりますが、新潟県から北の日本海側の同じ年代の古墳
からこれほどの副葬品が見つかったのは初めてだということです。
考古学が専門の新潟大学人文学部の橋本博文教授は 「城の山古墳は、大和政権の拠点として日本海側
では最も北に位置することになり、大和政権の実態解明において重要な発見だ」 とコメントして
います。
また、橿原考古学研究所で、長年、古墳の発掘調査に携わった奈良県教育委員会の岡林孝作さんは、
「副葬品の種類が近畿地方の古墳のものと同じなので、大和政権の影響を受けていたことは間違い
ない。 古墳時代初期の3世紀後半には能登半島のあたりまでしかなかった大和政権の影響が新潟県の
北部まで急速に広がったことを裏付けるものだ。 副葬品や古墳の規模をみると埋葬されているのは、
大和政権とつながりのある豪族ではないか」 と話しています。
09月06日 18時47分
> 副葬品や古墳の規模をみると埋葬されているのは、大和政権とつながりのある豪族ではないか
ひょっとして ? 最果ての地に とばされちゃったぁ~ お役人かなぁ ( ^ ^ ゞ 左遷 って ことね