堅実さんのブログ
寿命は短い、そして 24年8月25日(土)22時58分
風呂に入りながら、その後も、考えた。一人の存在は、歴史や社会の中では、ホコリの一粒みたいなものだ。今の野田総理といえども、この先、人類と地球の歴史が続くとしたら、同じである。
信長が、敦盛で、「人間50年、下天のうちに比ぶるば、夢、幻のごとし」とか、秀吉の最後の歌「露と明け、露と消えゆくわが身かな、なにわの夢も夢のまた夢」などは、人の寿命のはかなさ、短さをよく言っていると、思う。
人間長くて100年、並みなら85年。こんなもんだ。全く、短いもんだ。これ程、短いものなら、人生おろそかには、出来ないと思う。そこでだ。生きてきた証に、何か一つ、やってみようと思うのは、かなりいるかもしれない。
明彦君はこの人生で、テレビなるものは、20代から殆ど、見ていない。30代で、子供が見ているので、アニメを見ていた程度だ。なぜか、時間を浪費するような感じがするからである。しかし、時々は見たい番組もある。けれども、それも見ていない。後になってみると、それでも平気なのである。
酒も飲まない。理由はボケっとした時間がいやなのである。職場の宴会には、付き合いで出る程度だ。その時間、何か学習して自分を高めたかったからである。もっとも、その職場は世間、一般で言われる職場では無かったので、それも出来たのである。これが会社なら、そうもいくまい。
しかし、その結果は、実にたいしたことは無い。ほとんど、何もやらなかったのと、同じだと思っている。自己の変化はあったのだが、その能力が無かったと、思っている。しかし、若い頃、2,3年はやったという記憶は確かに、この心にある。それが明彦君の心の支えになっている。寝食を忘れて学習した事実は、有るのである。
先に、物には、固有振動数があり、人の場合、個性とか性格であると書いた。その後、重大な問題が生じた。それは性格とか、個性が、その人に物の固有振動数と同じで、生涯、変化しないものなのかという、問いである。今日は、疲れてきたので、この辺で、一旦、止めますが、この性格は変わらないかは、今後、ぽつぽつと出てきます。