骨折から5カ月が経過した。文字どおり、人生、今日は明日は、何があるか不確定なことを、地でいくような体験である。
経過を振り返ると、3日間は、痛みで寝られなかった。寝ていたのであるが、頭の芯に痛みが固まったような状態で、思考そのものが動かなかった。常に、強い痛みの感覚があった。しかし、不思議と気分は高揚していた。おそらく、人体の生存にとって危機的な痛みが起きると、脳内に痛みを止める麻薬状物質が分泌されていたのだと思う。それ程な大怪我に入る。
そして、この時に、浮かんだ言葉が「負けるものか」であった。脳内の麻薬物質の分泌と、この「負けるものか」の気力が重なって、気分は高揚していたと思う。
それでも、何とかトイレに一人で行けることは、有り難かった。これで、排せつが思う様に出来なければ、入院になったであろう。いや、入院すべき怪我であった。入院しなかったのは、病院の不自由さが、嫌いだかったからである。それに日常のいろいろの事が気がかりであったことにもよる。病院では何も出来ない
。
不自由な中でも、日経新聞だけは、丹念に読んだ。これだけで世界の動きがわかるものでも無いが、それでもよく読んだ方である。
少しずつ、歩けるようになったが、初めは腰の位置が定まらず、横によろけ、倒れる不安があった。そのため、近くに人がいることが、気がかりだった。よろけてぶつかるかもしれないと感じていた。またこの時には背筋が伸びていなかった。チンパンジーに似たような歩き方だった。その背筋も少しずつ伸びるようになった。それと共に痛みも少しずつ、減少した。
寝る時に仰向けで寝られなかった。激痛で、とても無理だった。この仰向けに寝ることが、ここ4日くらい前から出来るようになった。しかし、少しの鈍い痛みは出る。
そして、寝がえりも、次第に容易に出来るようになった。また、椅子に坐っているのも、3時間くらいは何とか持つようになった。
不思議に思うのは、車の運転は、ほとんど歩けない状態でも、骨折から1カ月後くらいから、かなり自然にできたことである。しかし、車が振動するので、背骨の痛みはその時は、かなりあった。
いろいろ思い起こすと、生きていくのに、何が有っても、生き残ってやるという気力と体力が求められる。普段からの生活への工夫と改善である。そして怪我が有る程度、治ってきたのみ合わせて、孫が滞在するようになった。今、孫の遊び相手をさせられている。自分の思うようには、人生いかないものだ。この様な環境の中でも、生きてやるぞと思う気持ちは、少しでも心の隅に燃やしていたい。しかし、人は弱いものだと、つくづく思う。