工事中。 こっちの方が読みやすい、やっぱ(--;
●労働運動は究極のカメムシ効果(自分で自分のクビを締める)
過剰な配分要求で会社を傾かせる。
会社を右肩下がりにさせ、最終的に潰す(JALなど)
搾取無き現代、資本家階級無き現代(後述)において、労働運動は、自分で自分のクビを締める運動に過ぎない。
傾いた企業は国(税金)で助けろ、となればお役所の仕事は増える。
税金で助かるとなれば、放漫経営は正されにくい。 企業のお役所化(お役所肥大化)が進む。
傾いた会社は、稼げない会社であり、社会に役立つ製品・サービスを提供出来なくなった会社。
潰れるに任せ、稼げる会社への転職支援に税金を使うほうが、税金の有効活用になり、労働者にもプラス。
労働者を守ること=斜陽企業を守ること、ではない。 これはむしろ、お役所を肥大化させ、無能経営者を助け、労組幹部を守ることになる。
●現代の労働運動民間企業から公務員中心に。
労働運動活発化で、会社は右肩下がり化>倒産or縮小>労組費低下>労組幹部も失職or減収。
(自分で自分のクビを締める)カメムシ効果により民間企業の労働運動は、労組幹部にとって稼げない業種に。
労組幹部、労働活動家の活動拠点は、お役所の労組にシフト。
お役所は何をしても潰れない。 お役所の労組は、労働活動家にとってパラダイス。
お役所依存の社会になるほど、公務員は増え、労働組合費は右肩上がりになり、労組活動家は裕福に
お役所依存を高める社会保障・福祉、環境保全分野は、労働活動家にとって絶好の商機である。
それでもお役所に任せますか??
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●搾取神話が労働運動(=宗教運動)の誤りの原点
労働者・経営者は『日々の労働』の対価を、『日々の賃金』で貰える。 そこに搾取はない。
労働者・経営者が取った残りカスが、株主への配当に一部回り、さらに余ったお金は、会社の剰余金となり、会社の発展に漸次生かされていく。 そこに搾取はない。
労働者は経営者から搾取されるか?
現代の経営者は、株主の雇われ人に過ぎず、階級的存在ではない。
経営の世界は、お役所に保護された会社、業界でない限り、完全な実力主義、成果主義の世界。
株主が異常高額報酬を認めない限り、経営者による搾取はない。
経営者の異常高額報酬は、株主配当を圧迫するので、株主からクレームがつきまくる。
労働者は株主から搾取されるか?(配当経由の搾取?)
株主は『過去の労働の蓄積(財産)』を企業に提供する。労働者・経営者より多くのものを投じる
それに対し、株主は『(不安定な業績次第の)配当を少しずつ受け取る』。
株主は、労働者・経営者に比べ、はるかにハイリスクローリターンである。 そこに搾取はない。
現代の株主(資本家)の主流は、機関投資家(年金基金)。 つまり、元を辿れば労働者。
現代において、資本家は階級的存在でない。
労働者は蓄財するほど、無意識のうちに(年金基金を通じて)株主化していく。
株主への配当は、主として年金基金=労働者を潤わす。 そこに搾取はない。
労働者は株主から搾取されるか?(成長促進=尻叩きによる搾取?)
株主の利益の多くは、配当でなく、企業成長による株価上昇で得られる。 これも不安定。
企業成長は、労働者・経営者の努力次第である。 株主は企業成長を求め続ける。
しかし、企業成長による株価上昇益も、機関投資家経由、年金経由で主として労働者に還元される。
成長益は賃金上昇か、年金増大か、将来への備え(企業剰余金)の増大を通じて労働者に流れる。
そこに搾取はない。
現代では労働者は経営者に監視され、経営者は株主(=労働者)に監視される『監視の循環』がある
しかも、労働者・経営者・株主は仕切られた階級でない。 重複しているうえ、相互乗り入れ容易。
現代では、搾取神話は完全なデマゴーグ。 搾取神話は、企業を破壊し、労働者の生活を破壊する。
それでも搾取がある、と思うならば、労働者は転職すれば良いだけ。
現代の労働者は被支配階級でなく、転職容易であり、起業で経営者にもなれる。
搾取企業には労働者は集まらない。 ゆえに、労働者が間抜けでない限り搾取はない。
労組幹部(労働活動家)は、『監視の循環』から外れた存在である。
彼らは誰にも監視されない。 労働者のために働く建前があるゆえ、労働者は彼らを叩けない。
労組幹部の収入は、労働組合費次第。 これは、労働者の増加と賃金上昇で増える。
ゆえに労組幹部は搾取神話を唱え、野放図な賃金上昇を求める。一時的賃金低下も認めたがらない。
これは終局的に企業を破壊し、労働者の生活を破壊する。
労組幹部は、労組費低下リスクのある企業合併、事業売却(=経営移管)、解雇も妨害する。
企業合併、事業売却(経営移管)は企業成長復活の手段だが、それを阻害してしまう。
これは結局、賃金や株主益の低下となり、労働者の生活を圧迫する。
企業には景気変動による業績変動が付きもの。
一時的賃金低下、一部解雇の両方が労組幹部に阻害されれば、企業は破綻確率アップ。
これも結局、大多数の労働者の生活破壊につながる。
解雇が非常に困難ならば、企業は、新規採用や転職者受け入れに非常に慎重に成らざるを得ない。
労組幹部による解雇阻害は、新規採用の困難化、転職の困難化につながる。
これは、労働者の移動を減らすので、結局、搾取企業や右肩下がり企業への労働者の固定化になる。
解雇阻害=転職困難化なので、解雇された労働者の失業期間が長期化しやすくなる。
解雇規制、解雇阻害は、終局的には、労働者の固定化(=社畜化=搾取容易化)と、そこから外れた労働者のホームレス化につながる。 中長期的には、労働者の生活改善にむしろ逆行する。
短期的な生活維持が失業保険で図れるならば、解雇自由化のほうが労働者の生活は向上する。
つまり、現代において、労働組合は無用の長物であり、それは労働者のためでなく、労組幹部(労働活動家)の利権維持のためのマシンと化している。