「狭山流(きょうざんりゅう)」は、12代当主・武平満義の六男、繁田百鑒斎(本名金六。霞山、狭山茶人とも号す)が考案した茶式の流派で、昭和8年(1933年)ごろより始められた「繁田式お茶の会」が原型となっているという。
百鑒斎は、誰にでも簡単に習得できる茶式やテーブル席でのお茶会など新しいライフスタイルに合った茶道を創造する一方で、器にもこだわりました。昭和10年(1935)には長崎県雲仙に居を移し、「雲仙焼」を創始。煎茶椀、抹茶椀、番茶碗など、お茶の特性に合わせたお茶を主役とした器を作陶しました。
(新茶道・狭山流:茶の繁田)より
タイトルはこのようにしましたが狭山流についてポスターのような手つきでの作法だったのか情報がほしいところです
ネットで調べたところ以下では煎茶道 狭山流(さやまりゅう)と言う呼び方をしています。
●煎茶道狭山流の家元 創流<技芸>長谷山芳喜(長谷山陽子)
秋田市保戸野 平成19年度秋田市文化章の受章者
全日本煎茶道連盟に加盟し、全国煎茶道大会で茶席を担当する。
●狭山流 茶道 芳山会 初代 千葉宗輝 創流 1958年 秋田市
二代家元 千葉宗翠 襲名2008年
●伊藤 笑子 煎茶道狭山流 教室代表者 秋田県横手市
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