武州 狭山に茶畑 嘉永6年創業善光寺大門「喜多之園」(引札)

Ukiyoさん
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  明治43年の「喜多之園」(長野市大門)の引き札に武州狭山自園図が描かれている。銅版で他は石版印刷である。茶名録では以前の名入りから自園別製「喜多之園」に変わっている。
                                              サイズ(横)7.5×(縦)38.5

  明治二年(1869)から三年にかけて、高林謙三は数ヘクタールの山林を買い、これを開墾して茶園の経営をし、機械発明で近代化を目指した。 この頃は、製茶業に目をつける者が多く、生産は急上昇したが、価格低落し、製茶業者は困窮をつづけたという。
また、明治八年海外直輸出を目的として、入間郡黒須村の繁田武平(満義)を中心に、狭山会社が設立された。 一五年設立の和賀川会社、一七年の金子商会、一八年の埼玉県製茶会社なども知られている。しかし、これらの会社は販売面の不慣れもあってあまり成功しなかった。そして、明治の中頃から輸出に不振をきたしたので、国内市場の開拓に努めるようになった。 繁田園開設で狭山から東北方面へ進出している。
  引き札から推定してみると善光寺大門の製茶問屋「喜多之園」も早くから狭山とも関係を持っていますが、この地に自園を持ったのは明治後期でしょうか。

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