タマニチェンコさんのブログ

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グローバル化する経済についての妄想

本格的に経済がグローバル化していて、地球上の価値の総量が見えるようになってきた。
考えてみればわかることだが、地球上の価値の総量には上限がある。技術の進歩や文化の成熟、人口の増加などによって、少しずつその総量を増やした来たのだが、いきなり大きくなることはない。
一方、一部の富める者たちはマネーゲームによってその資産を増やしてきた。とはいえ、基本的には勝負の世界なので、勝った負けたでゼロサムゲームとなるはずなのだが、このゲームには利息がつく。これは単純に「ゲームに参加する資本×利息」で、複利で金額が増えていく(もちろん細かく見れば、負けて失う人もいるのだが、総じて見れば増えているのだと思う)。これは帳面上の金額なので際限がなく増えていき、投資した人たちの利潤となっていく。
経済活動が国や地域ごとに別れて小規模に行われていたころは、限界も見えないので、利息で増えた分は単純に利潤として考えればよかった。しかし、世界の経済がお互いにつながっていき、グローバル化している現代では、富の総量が見えてくる。そうすると、「富を得る」ということを全体の富の総量をパイとした比率で考えなければならなくなってくる。
つまり、ある人が地球上の資産の50%を得たとする。この資産に10%の利息がつくと50*1.1=55%となるため、全体の富の総量が105%になり、100%を超えてしまう。しかし、現実には100%を超えることはできないので、55/105で52.3%となる。つまり、残りの50%の富を持っていた人たちの取り分が自動的に2.3%減ってしまう計算になる。
これまでの経済であれば、この10%の利息は「その分地球上の価値の総量が増えた」と解釈しても問題なかったのだろうと思う。しかし、「人類の発展≧経済の発展」という図式が崩れつつあるため、そんな単純な計算で済ますわけにはいかなくなってきているのではないかと思う。
105%の計算を実際の地球に置き換えると、一部の富める者たちが自分たちの富に利息を付けて経済を回しているうちに、うっかり地球上の価値の総量を上回ってしまった。数字上の資産がいくら増えても、実際に富が手に入らなくなってきたのだ。これがウォール街の停滞を呼んでいるものの正体なんじゃないかと思う。競馬で言うと、勝ち馬券を持っているのにもかかわらず、換金できないようなものだ。
「これはいかん。なんとかこの"勝ち"を確定させて、自分の富を現実のものにしたい」と、ゲームの参加者たちが取った行動が、現実の「物」を買うことである。これが、原油や穀物の高騰を呼ぶ。
先ほどの105%の話で言うと、富める者が手に入れた5%の利息を残り50%を持っている人たちに無理矢理払わせているということになる。なぜならば、現実世界の「物」は、最終的に世界中の人たちがそれを買わなければならないからで、石油や穀物などの「物」を通して現実社会の人々から富を巻きあげているという構図となる。
こう考えると、かつてはウォール街の中だけでの話だったグローバル経済であるが、ここにきて現実社会に悪影響を及ぼし始めたということになる。
富める者が貧しき者たちより富を吸い上げる構造が出来上がりつつあり、いわゆる格差社会というものが、いよいよ本格化していくのだ。
こんなことを続けていけば、貧しき者たちの疲弊によって経済が停滞してしまい、地球上のパイの総量が減ってしまうだろう。すると、富める者たちは足りなくなった分を埋め合わせるため、更に富を巻き上げる。という負の連鎖を呼び寄せるかもしれない。
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