仙人の生活 24年6月13日(水)21時44分

堅実さん

 明彦君は最近、困った時に、「神様お願いします。」と心の中で言う。どうも、不思議なもので、神様にお願いすると、少しはましな、望む結果になるようである。しかし、全てが全て願いがかなうではない。いくらお願いしても、駄目な時もある。それではと考える。神様にお願いするのではなく、その神様を、何とかして、この自分の体内にとり込んでみてはどうだろう。そうすれば、神と一緒で、すべてはうまくいくだろう。なんて事を明彦君は考えた。これではドンキホーテと似たようなものである。

 

 しかし、明彦君は真面目に考えているのである。そしてこの時には、どうやら張り切りすぎてもいけない様である。大声を出して、はしゃいでもいけないと思っている。神と同体だから、絶対大丈夫なんて、浮わっついてはいけない。あくまでも、粛粛と行動するのである。第一神様は、そんな軽々しいものではなく、重厚な深遠な考えで、落ち着いて行動するものである。テレビのバラエテー番組などには、絶対出ないだろう。

 

 長い木の杖をつき、山野を縦横に駆け巡るのである。岩と岩の間を飛び移り、さらりと身をかわし、そして木々や山の生き物と会話をし、空を仰ぎ、川の流れを聞き、毎日を送るのである。それは、修行の日々でもある。動かざるときは、静かに瞑想し、腹式呼吸で、この宇宙や自然との対話をするのである。岩の上で、動かざる数時間とかの瞑想をしたり、あるときは、水中で生活するのである。

 

 そして明彦君は、考えた。これは本当だろうか。本当にそうなら、苦労は無いが。誰でも毎日、生活のために苦労して生きている。こんなに、苦労するんだったら、仙人の修行をして、いっそのこと、この世、つまり渡世の世界から離別して、山奥で、霞を食べ生きたいものだと思う。

 

 昔から、古代中国では、神仙思想というものがあったらしい。つまり、仙人の様になって不老長寿を得ようとする考えである。そしてその薬草や薬を求め、遠くは、この大和の国まで使者が来たらしい。それ以上は分からないが。

 

 しかし、こんな事を言ってばかりではいけない。仙人の生活では、パソコンも無いし、スーパーも無いので、好きな食べ物も手に入らない。第一、お風呂はどうするのと考える。風呂に入らなければ、花粉症の明彦君は息が出来ないかもしれない。となると、仙人の生活は、なかなか不自由なものらしい。

 

 それでも、人里はなれた世界で、生活するのは、この、至る所でストレスを感じさせる、日本人には、あこがれの一つでもある。しかし、明彦君は農家の生まれなので、田舎の生活がどれほど、不便なものかも知っている。田舎で自給自足の生活をするのは、子供がいない場合は、まあ良いが、収入が年間、20万とか30万とかでは、子供がいる場合は、挫折するのがまず予想出来る。田舎の生活は、ストレスは少ないが、収入も無いので、これはこれで、品物が買えないので大変なことになる。

 

 そうなると、どうなんだろう。1年のうち、数か月は田舎生活でと。これが出来る人は、生活費によほど恵まれている人になる。

 

( 仙人の生活がとんでもない方向に行ってしまった。またも、お粗末です。「堅実」ではなくて「お粗末」さんの方が、似あっていると、時々思ってしまう。)

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