菅直人前首相は28日、国会の東京電力福島第1原発事故調査委員会に参考人として出席し「心からおわびする。原発事故は国策で引き起こされ、最大の責任は国にある」と述べ、津波への事前の備えや事故後の避難対策が「不十分だった」と陳謝した。また事故発生当日、原子力緊急事態宣言を出すのに手間取ったことを認めたが、宣言の遅れで事故対応に支障はなかったと弁明した。
菅氏は避難対策について「一時的避難と受け止めて避難した人が長期になった。屋内退避が(1カ月以上と)長くなった。おわび申し上げたい」と語った。
昨年3月11日午後7時すぎの緊急事態宣言は、与野党党首会談などを挟んで、首相の決裁に約1時間20分かかった。菅氏は「野党の党首を待たせるわけにいかない。もっと早い方がよかったと思う」と遅れを認めたが「支障は特になかった」と釈明した。
委員側は現場作業への過剰な介入として批判がある事故発生翌日の現地視察など、菅氏の行動を追及した。視察について菅氏は「状況が把握できると考えた」と強調。官邸が吉田昌郎よしだ・まさお所長(当時)に電話を頻繁にかけていたと委員が指摘すると「私が電話で話したのは2回だけ」と説明した。
官邸にいた東電幹部が「官邸の意向」として、原子炉への海水注入の中止を現場に指示した問題では「(同幹部が)自分の判断で言った。私の意向でない」と述べた。
また菅氏は、東電が一時、全面撤退の方針を伝えてきたとの認識をあらためて示した。
原子力災害時の政府の対応などを決めた特別措置法について「過酷事故に対応できず、事故の想定が不十分だった」と認め、今後の原子力規制について「過酷事故に対応できる能力を持った組織が必要」と強調した。
菅氏は最後に「原発は安全性を確認して活用する立場だったが、根本的に考えを改めた。戦前の軍部に似た原子力ムラを解体することが改革の第一歩だ」と脱原発への思いを表した。