「こんな事で負けてたまるか。」明彦君の口癖になっていた。3月の初め、運動不足を減らそうと、自転車で走っているときに転倒し、背骨を骨折してからだった。
転倒直後、仰向けになったまま、空を見ていた。晴れた日で、自衛隊の飛行機がはるか上空を飛行していた。しばらくそのままで、身体の異変が無いか、考えていた。そしてよく後頭部を地面に打たなかったと、ひとまず安心した。次に、身体がどのくらい動けるかと考えて、上体を静かに起こし、両手を後ろの地面についたまま、またしばらく静かにしていた。
近くの人が、気がついて、自転車を起こしてくれた。家までの帰りは、数百メートルは自転車を転がし、歩いてみた。その後、何とか自転車に乗って帰れるかだめか、確かめたくなった。静かに、サドルにまたがり、おそるおそる自転車を走らせた。やれる。そう思って、なんとか、自転車に乗り、道路の端を動き、道路を横断し、家まで帰った。この時は車の動きに神経をとがらせた。間違えば、車にぶつかる。そうすれば、先ほどの自転車の転倒どころではない。
それからだ。2,3日は痛みで、夜も殆ど、寝られなかった。実は、うとうととしていて、合間、合間に寝ていたのであるが、痛みが常に頭に響き、寝たという感じがしなかったのである。痛みは背中であるはずなのに、背中と頭の芯が痛かった。そうか痛みは頭で感じているのかとも、思った。そして何となく、身体は痛みで動けないのに、さわやかな充実感があった。この時、脳の内部で痛みを和らげるために、麻薬物質が生産されているのかもしれないと思った。以前、痛みがひどい時には、脳から痛みを和らげる物質が出ている何かの本で、読んだことがある。
独身時代に買った座イスが役にたった。蒲団の上に座イスを置き、上半身が起きたままの姿勢が楽なのである。そして自転車の転倒事故のことを、時々思いだしていた。あの転倒で、よく頭の後頭部を地面に打ちつけなかったものだ。神に助けられている。そう思った。
明彦君には今まで、いよいよ危機がくると、不思議なことに、何時の間にか、その危機が過ぎ去っていくと感じているのである。神の炎が燃え上がる。モーゼの出エジプト記を、思い出していた。モーゼの一団が、後を追いかけてきたエジプト軍に追いつかれそうになると、砂漠に神の炎が燃え上がり、エジプト軍を撃退する話である。今回の自転車の転倒事故も、神の力が、明彦君の後頭部を支えてくれたと思えるのである。「こんな事で負けてたまるか。」必ず、不思議な力が助けてくれる。
それから約、3か月近く経過した。医師の話では、痛みは残るかどうか分からないという。背骨は圧迫骨折と背骨の軸の横方向へのずれである。圧迫骨折の痛みな無くなったが、背骨の軸の横方向へのずれの痛みは残っている。
「そんな時は、そんな時だ。」痛みが続ならそれもよい。しかし、少しずつ痛みが弱まっているので、今よりは痛いという事は、少なくなるだろう。「こんな事で負けてたまるか。」必ず、不思議な力が助けてくれる。今、明彦君は、その神と交信中である。必ず何とかなるさ。そして超自然の力の中で、必ず回復すると信ずることだ。