菱屋 よしえさんのブログ

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◆◆◆白桜忌(はくおうき)◆◆◆

◆内容◆
毎年、与謝野晶子の命日の5月29に覚応寺において、白桜忌奉讃会式が営まれ、法要や講演が行われます。
女流歌人・与謝野晶子は、明治11年、堺の和菓子商「駿河屋」の鳳宗七の三女として生まれ、名前は「志よう」と言いました。鉄幹氏との恋や「明星」創刊、歌集「みだれ髪」などで歌の才能とともに世間の注目を浴びました。明治37年、日露戦争に弟が出征したとき「君死にたまふことなかれ」の詩を明星に発表し、この詩が非国民との批判を浴びましたが、「本当の心を歌うのが歌人であり、後世の人に笑われないよう、本当の心を歌った。親兄弟が無事で帰れと願うのはしごく当然なことだ」と反論し、真実の叫び声をあげました。晶子が学んだ堺女学校(現泉陽高校)にこの「君死にたまふことなかれ」の歌碑が立っています。昭和17年5月29日午後4時30分、晶子は、東京荻窪の自宅で家族やお弟子さんたちにみとられ、大往生しました。享年65歳。生前に彼女は、「私の戒名には白桜院を…」 と、周囲の人々にもらしていたので「白桜院鳳翔晶輝大姉」の法名が贈られました。
死後40年たった、昭和57年5月29日の命日に、覚応寺で先代住職・河野正伸師により、第1回白桜忌奉讃会式が催されました。ちなみに正伸師は河野鉄南氏の甥で養子に入られました。
没後70年に当たる当日は、「晶子は戦争をどうみてきたか」をテーマに、与謝野晶子社会評論を読む会のメンバーが語り合います。
正中山覚応寺は、伊予の豪族河野通元が覚如に帰依し、覚応と改名し開山しました。昭和20年の堺市大空襲から奇跡的に免れました。「やは肌の あつき血潮に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」と歌ったこの「君」は、前住職の河野鉄南氏のことで、文学仲間の与謝野晶子と鉄幹をひきあわせた方です。境内に与謝野晶子の歌碑「その子はたち くしにながるヽ くろかみの おごりの春の うつくしきかな」があります。
阪堺線神明町駅下車、東へ徒歩5分。


◆日時:平成24年5月29日(火)13:30~16:00 

◆場所:覚応寺(大阪府堺市堺区九間町東3-1-49)

◆料金:1000円(和菓子付き)

◆お問い合わせ:覚応寺/072-238-6835

◆地図:こちらをご覧ください

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