!!! 多分私は人生のレールに、再び乗っかった! !!!
私は今、非常に惨めで苦しい状況に置かれておりますが、実は過去にも似たような経験を一度だけしております。
この時の奇跡的な経験が、頑張れば想定外の良い展開が訪れるのではないかという、「期待」と言うよりは「自信」みたいな感覚を呼び起こすのであります。
今日はこの経験を、書いてみようかと思います。
もしかしたら皆さんも、似たような経験があるかも知れません。
あれは、私が学生の頃の話であります。
私はブログで、社会人になってからの悲惨な体験は何度も書いてきましたが、大学生の頃のことは、あまり書いてはいなかったと思います。
実は私は、学生時代は、非常に楽しい生活を送ることが出来ました。
学生時代に楽しい思いをした人というのは、90%以上はサークル活動を行っていると思います。
ですので、部活やサークル活動をやらずに、楽しい学生生活を送ることは、たぶん出来ないし、何もやらない50%くらいの人は、その時点で残念な学生生活が決まってしまったようなものだとも、言えるのかも知れません。
私は幸いに、あるボランティア活動の部活に入部することになりました。
当時の3年生が勧誘で飲みに誘ってくれて、おごってくれるものですから、じゃあ入りましょうと、入ったのであります。
私は高校時代は帰宅部でありまして、また大学受験に失敗して一浪しておりました。
半年間予備校に通い、残りの半年は予備校に行っても勉強した気になるだけで何も覚えていない、これじゃいかんと宅浪に切り替えまして勉強に励んだわけでありますが、高校時代の帰宅部や宅浪だと、時間があるものですから、色々と考え事をしてしまうのであります。
私は思春期の真っ只中の約4年間、自分と対話を続けたのであります。
子供の頃から中学校までは、身体が弱かったものですから、いじめられたこともよくありまして、自分の意志など持つことも許されないような人間だったのですが、高校から浪人時代の4年間で、私は幾分いびつではありましたが、一応人間らしくなったのであります。
そして、少々自意識過剰な人間になっていたわけであります。
この自意識の過剰さが、私にはプラスになったみたいで、3年生が秋に引退した後に、私はその部活のNo.2である幹事という役職に立候補したのであります。
この幹事と言う仕事は、親クラブ(ロータリークラブなのですけれども)と、折衝する役でして、クラブ自体がボランティア活動(障碍児と遊ぶのがメインの活動でした)の部活なので、金持ちのおっさんを相手にする仕事は雰囲気がまったく異なり、誰もやりたいという人がおらず、私がやることには誰も反対しなかったのであります。
1年生の秋からクラブのNo.2になった私は、それに見合った人間になれるように、恐らく誰よりもがむしゃらに部活動に精を出しました。
人前で話す練習をしたり、部活以外のボランティア活動に参加したり、関連した体験を増やそうと、盲学校の宿直のアルバイトもやりました。
そのおかげもあって、同期は25人いたのですが、私はその中でも指折りの実力はあったと思います。
ただ、上には上がいるものですよね。
たった1年間頑張った程度では、それまでの奥手だった20年間の埋め合わせは出来ませんでした。
自分でも何人かは、勝てないなと思う人はおりました(笑)
そんなこんなで2年生になりまして、次のNo.1である会長職を決める時期が迫ってきておりました。
同期は二人増えて27人。
私は当然、自分がやるものだと思い込みました。
しかし、周りはそうではなかったのであります。
私のことを嫌う人が、少なからずいたのであります。
確かに私は、子供の頃からリーダー的な仕事をしてこなかったので、不手際もずいぶんあったと思います。
そんなわけで、私を嫌う人たちは、別の人を会長にしようと動き出したのであります。
学生時代の部活ですから、上下関係は当時はまだ残ってまして、その人たちは先輩方にも働きかけたのであります。
当時候補になりそうな人は何名かおりました。
その候補は次の人たちでした。
Dさん:圧倒的な能力を持つ人で、飲み会でもボランティア活動でも、天性のリーダシップ(面白系)を発揮する人でした。
KSさん:この人も同じくらいパワーのある人でしたが、この人は部活にはそれほど熱心ではなくて、私と同じくらい敵も多い人でした。
KAさん:敵の少ない人で、飲み会も部活動もどちらもきちんとこなせる人で、先輩受けがとても良い人でした。
Hさん:この人も敵の少ない人で、部活のメインとなる活動の責任者をやっている人でした。
皆が押す第一候補は、当然ですがDさんでありました。
でもDさんは、私が立候補していたので、お前でいいよと言う人でありました。
能力のある人ですからね、役職などなくともリーダーでいられる人なのです。
実は今でも当時の同期とは連絡取れる中なのですが、Dさんは某施設の所長を、20代の頃からずっと続けております。
社会はやはり、実力ある人をほおっておくことはしないみたいです。
そんなわけで、Dさんはやらないということなので、私を嫌う人たちは、KAさんを候補に担ぎ上げたのであります。
私を嫌う人たちの勢いは、それはすごいものでありました。
同期の人たちや先輩に徹底して、私の悪口を言いまくっておりました。
私は尊敬していた先輩方からも、お前が会長になったらクラブがめちゃくちゃになるぞと言われるようになりました。
しかし私はNo.2ですから、私が立候補をしないというのは、大きな責任に反してしまうような気がして、立候補を取りやめることはしなかったのであります。
そして運命の2年生の夏合宿の日。
会長選が行われたのであります。
先輩方が開票するので、何票差だったかは、私にはわかりません。
私は負けました。
KAさんが会長になり、一つ下学年の幹事はやはり駄目だということで、同期のNさんが幹事に決まりました。
私はやってきた全てを否定され、役の無い平になったのであります。
私はサークルを辞めようかなと思いました。
私を嫌う人たちの動きはあまりに凄まじく、先輩方もKAさんを支持したため、私に同情することすら許さない雰囲気でしたので、何名かは「やりすぎだよね」と声をかけてくれましたが、その声もすぐにかき消される状態でありました。
でも私は辞めませんでした。
私はそれまでずいぶんと頑張ってきたおかげで、メイン活動で障碍児と接するのは、一番上手とは言わないものの、苦手ではなかったので、活動自体で周りの人から馬鹿にされるようなことはなかったからであります。
これで辞めたらもったいないなと思ったのであります。
それからしばらくして、私に転機が訪れました。
あれは2年生の秋のことであります。
つづく。
さて、話は変わりますが、私の注目銘柄「2402 アマナホールディングス」(http://amana.jp/ )でありますが、商品を見ても魅力的なものが増えてきております。
グループ会社のアマナイメージズ(http://amanaimages.com/indexTop.aspx )で言えば、
革新的なウェブ(ホームページ)制作のパノウォーク
http://amanaimages.com/satsuei/panowalk/index.aspx
音素材
http://amanaimages.com/sound/index.aspx
3Dモデリング素材
http://amanaimages.com/3dmodel/index.aspx
フォントサービス
http://amanaimages.com/font/index.aspx
画像の売買サイト、タグストックのリニューアル
https://tagstock.com/
などが昨年の出来事であります。
わずか1年でこれだけの新規事業であります。
グループ会社のアマナ(http://amana.jp/amana/ )で言えば、ワークゼブラをM&Aしております。
http://www.workszebra.com/jp/
グループ会社のアマナインタラクティブ(http://amanainteractive.jp/ )においては、料理通信社をM&Aしております。
http://r-tsushin.com/
また持ち株会社のアマナホールディングス(http://amanaholdings.jp/ )は、ポリゴンピクチュアズをM&Aしております。
http://www.ppi.co.jp/
今後の業績が、私はとても楽しみであります。
また株式投資は分散投資が基本ですから、このアマナHDも投資先の一つとして、欠かせない銘柄の一つだと、私は思います。
そして株主の皆様、アマナHDは長期保有優遇の株主優待となっております。
ぜひ末永く保有していただけたらと思います(笑)
講義やゼミのクラスというのは、高校までのクラスと違って、非常に結束感のないものですから、ここで友人を作るのは、とても難しいと思うのであります。