株で生活していると聞けば、たいていの人は株の儲け、つまり株の売買益で食っていると思うでしょう。株で儲けるという感覚は株の売買益のことで、株の配当金は儲けにはならないようです。それに、株の儲けで生活しているほうが、配当金よりかっこいいという人もいます。
それでは・・・。もし株で生活している人がいれば、その人は「ばくちうち」と考えてもいいのでしょうか。仮に、1,000万円の元手があってこれで株を売買し、月10万円の生活費を引き出すとします。資金が年間120万円も減少する投資法は、通常は成り立たないことは明確です。
成り立つとすれば、それはプロになって、特別な方法で儲けをあげるしかありません。株の世界も、短期間ではゼロサムで、あなたの儲けは誰かの負けです。勝率は50%です。これ以上の期待値をあげるには、誰かの犠牲で儲けなくてはなりません。昔の博徒はそれで生計を立てていたのです。
では、本当に株の儲けで生活できないのでしょうか。バブルで潤った90年代には、株の儲けで生活しようと、会社を辞めてこの世界に飛び込んでいった人もいたのです。
私もその一人です。違いがあるとすれば、会社を辞めなかったことです。会社にいるときから、会社を辞めたら、株で生活しようと計画を立てていました。私には夢があったのです。
90年代の後半、世の中は山一證券の倒産劇で暗いムードが充満していました。そんな中、私は会社を退職し、長年の夢であった株で生活する人生を踏み出しました。早速、資本金1,000万円の有限会社を設立したのです。
勝算はありました。法人で株取引をした場合には、損失の5年間繰り延べ、売買益に対する税率、配当金の税負担、経費の損益通算といった面で、個人より有利になることに着目したのです。それに、株の売買益から生活費を捻出するのではなく、会社から人件費として配分を受ければ、資本を食いつぶさなくて済みます。経費で落ちるなら、パソコンの費用も、会社訪問の旅費も浮くではありませんか。
資本金1,000万円は、持ち株を評価して現物出資し、さらに退職金を含め3,000万円ほどを会社に貸付け、それで株を買い込みました。これで株価が上がれば、利益は新規事業の費用に充当し、税金を気にしないで投資に打ち込めます。
ところがその年の決算を締めて税務署に提出したところ、本業の売り上げがなく経費と株式の売買益だけという会社に早速クレームがつきました。株の売買を本業にするのなら、証券会社の登録が必要だというのです。
設立の定款には会社の目的としていろいろ挙げてありますが、初めから事業計画など作ってはいません。改めて本業を見つけることになりました。そのうちに現役時代の友人から、仕事が持ち込まれ、どうやら会社としての体裁はついてきました。営業外での株式売買も税務署に気兼ねなくできるようになりました。
ところが、設立後の株式相場は金融恐慌の結果、買いこんだ株式は見るも無残な損失を出すにいたりました。その上、会社設立当初から所有株式を低価法で評価していたために、損失実態以上に拡大してついに資本金を食い込むどころか、つぎ込んだ資金まで食い込んでしまいました。
費用の損金算入どころか、身銭をはたいてまで会社を支えなくてはならなくなりました。2000年ころには、ITバブルの恩恵もわずかで、底をついた資金を眺めて、この先カミさんにどう説明しようか、いっそブルーテント暮らしにしようか、そんな毎日が続きました。
本業のほうも、あまり熱が入らないせいか、収支はトントン、だんだん仕事を続けてゆく気力も衰えてきました。社長と呼ばれることに夢を抱きましたが、金のない社長には夜の蝶も寄ってきません。その上、2003年の税法改正で、個人にも損失の繰越が認められ、売買益に対する税率も10%となって、法人で株を売買するメリットも薄れてしまいました。
この時点での会社の繰り越し損は、3,000万円ほどに達していましたが、税法で認められている損失の5年間の猶予期限はすでに切れしまい、繰越損の解消には30%ほどの法人税を払わなければなりません。ここにいたって会社を存続させる意義はなくなり、解散することにしました。
幸いなことに株主は1人、経理から営業までワンマンでやっていて、固定資産を持たず、借金もすべて私個人のもの。そのため、解散の社会的な影響は限定的にとどまりました。結局、資本金への出資を含めて4,000万円ほど損を出したことになります。
失敗は成功のもと・・・かもしれませんが、夢の代償としては大きすぎます。でも、悔いはありません。いま想うと、私の人生で、あれほど充実した時期はありません。夢にしがみついていた苦しい毎日でしたが、勉強もしました。もう、あんな時が来ないと想うと、一抹の寂しさを感じます。
いかがでしたか、会社を辞めてでも、株で食ってゆく気持ちは変わりませんか。