ポジティブと無関心を勘違いする人達

らいあんさん
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僕は意外とポジティブに物事を考える方だと思う。

 

特に高橋洋一さんの著書を読みだしてからそうなったんじゃないかな。

 

まぁそんな事を言うと、「お前勘違いするなよ!」とか、「お前見たいな我儘野郎が何を」って、今まで悪態をついた色んな人達から怒られそうだけど(笑)、これでも自分では結構ポジティブな方なんじゃないかって思ってるんだよね(苦笑)。

 

で、僕の場合だけど、その人とかその事に対する考えの一貫性みたいなものが理解出来て、それが長期的な利益みたいなものを生むという事を、自分の頭でなんとなくでもいいから理解できればポジティブになれる。

 

そうなったらその人に関する細かい欠点なんかはさほど気にならなくなる。

 

逆を言えば、そういうプロセスを踏まずに、ただただポジティブになろうとしてる人達は、大抵の場合、お気楽で無関心なだけだと思ってる。

 

民主党にこのまま国を任せてなんとかなるって思ってる人は、ポジティブじゃなくて、ただの無関心。

 

その考えの根拠となる今までの実績や今までの考えに対する一貫性を全くと言って理解出来ないのに、その事に対してポジティブになんてなれるわけないじゃん。

 

それは他人事だと思ってるから出来るだけじゃないのかな。

 

例えば貴方の一番大事な人、家族、幼馴染、誰でもいい。その人が、恋人からひどいDVを受けていたとしてさ。その人の体に明らかな暴行された跡が残ってるのを貴方が偶然見つけたとする..

 

それを見た貴方は、何の具体的な対策も取らずに、「大丈夫、なんとかなるよ」って言って何事もなかったかのようにそれを見過ごせるだろうか?

 

多分出来ないよね。

 

でもこれが全く赤の他人だったらどうだろう?

 

面倒だからって、「なんとかなるよ」とか体裁のいい言葉だけ繕ってその場を見過ごすかもしれない。

 

何事にもポジティブっていうベースにあるのは無関心ってこと。

 

まぁそういう意味では、選挙に行ったって何も変わらないから、そんなの無視してただ楽しく生きようなんてのが無関心の最終形かな。

 

無関心ってのはネガティブの最終形みたいなものかもしれない。

 

表面的にはポジティブに見えるというのが逆に怖い事だと思うんだよね。

 

ポジティブになるという事と、無関心になるという事を勘違いしている人達は多いと思うよ。 

 

 

 

 

 

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