金正日の死が伝えられました。彼の生涯についてはいずれ伝記が出版されるでしょうが(見たいとは思いませんが)、普通の人が死んだらどうなるのでしょうか。
私はここ数年で、両親や親戚の死に直面し、当事者としてあるいは手伝い人として、遺品の整理に当たりました。結果は金になるもの以外は、ほとんど処分されてしまいました。着るものから、かばん、靴といった服飾品、書籍、ビデオなどの趣味教養品、それに写真、記念品、手紙のような思い出の品々・・・。どれも故人にとっては貴重なもの。処分するには気が重い話です。
でも、残された人にとって、これらの遺品はどう写るのでしょうか。保管しておく場所もなければ、何時までも死んだ人のことを考えている余裕もありません。結局、廃棄業者に引き取ってもらうか、焼却処分に回されました。悲しいけれどこれが現実です。
亡くなった私の父は、俳句の世界ではちょっとした人物でした。新聞の投稿から始まって、著名先生の門下生となって活躍し、俳句に関する著書も数冊出版していました。そのため、日記とか手紙のやり取りなど、かなりの遺稿がありました。
それらの遺品は、母が引き取り大切にしていましたが、その母も亡くなると、家は建て替えられ、遺稿はほかの書物と一緒に焼却されてしまいました。母にとっては、それこそ命の次に大切なものであっても、俳句に興味のない子供たちにそれを維持する力はありません。
まったく人間、生きているうちが華です。生きているうちにやりたいことをやっておき、悔いのない人生を送らないと、あの世からこの世を自由にすることはできません。自分の思い出は、自分一代に蓄えて、残されたものの負担にならないようにしたいものです。残された人には、生前迷惑を掛けた対価に相当するのものを残しておけば十分です。余分なものを残しておけば、けんかの種をまくだけです。
とはいっても、「せっかくこの世に生まれてきて、死んでしまえば何も残らないのでは、親に申し訳がない」・・・、そう考える人もいるでしょう。そこで、自分がこの世に、この時代に生きていたことを、人生記として残しておくのはどうでしょうか。
生まれてから今日まで記憶に残ったことを、2~3ページにまとめて書き記せばいいのです。その過程で、遣り残したことがあったら、がんばってみるのもいいのではないでしょうか。人生記は、子供たちが、お父さん、お母さんってどういう人だったか、家族や友人に話すときの手助けになるかもしれません。
これなら、場所をとらずに小さなUSBにしまっておけるし、命日には親戚知人の前で、誰かがパソコンから取り出して、自分の人生を語ってもらえるでしょう。
いずれにしろ、あの世にいってしまえば、その後の世界は家族に託するより仕方ありません。でもほどほどがいいようです。それがいやなら、大がつくような人物になって、人に伝記を作ってもらう方法も、ないとはいえませんが・・・。