あなたは今の人生に満足していますか。人生をやり直したいと考えたことはありませんか。
「若いときの夢は、年とともに想い出に変わる。この年になって人生を振り返ると、ほとんどの夢は想い出に変わった。でも変わらないものもある。あのとき、別の道を選んでいたら、残された夢が想い出になっていたかもしれない・・・」
これは「もうひとつの日記」と題する小説の入り口です。人は年とともに、将来の夢を語るより、過去の思い出に浸る時間が長くなってきます。多くの人は、サラリーマンとして仕事に燃える人生を選び、豊かな生活と暖かい家族との生活に満足した人生を送ったように見えます。でも不満はないのでしょうか。
人生には、節目がいくつかあります。選択の迷うものや、岐路とは気がつかないで通り過ぎてしまうようなものまで。その岐路での選択が今日の自分を作っています。それは進学でしょうか、就職でしょうか、それとも恋愛、結婚、浮気、あるいは悪の道への入り口・・・。
でもあのとき、あの分かれ道で別の道を選んでいたら、その後の人生はまったく変わっていたかもしれません。その岐路で、違った道を取ることを想像し物語にすると、違った人生が生まれ、やり残したことが実行できます。
それが、疑似体験を綴った「もうひとつの日記」です。この作家は、大学卒業後、商社に入り、ニューヨーク勤務を続けた後に東京本社に戻り、そこでアシスタントを務める女性と婚約寸前にまでゆきます。ところがある日仕事の訪問先で、ニューヨーク時代に下宿をしていた家の娘とよく似た白人女性に出会うのです。
彼女は、年上で離婚歴があり日本男性との間に生まれた女の子までいます。それでも彼は両親や会社幹部の反対を押し切って、彼女との結婚を決断します。そして、大会社のエリートコースを諦め、独立して会社を設立し彼女と一緒に仕事を始めます。
でも幸せは長く続きません。彼女が突然病に倒れ天国に旅立ち、娘と二人だけの家庭になってしまいます。やがて親娘は結ばれますが、養子縁組をしていたため法律上結婚はできないまま、夫婦として仕事に遊びに楽しい生活を送ります。そして破局が・・・。
スタートは若い奥さんと一緒に、映画「シェーン」の舞台となったアメリカのグランドティートン国立公園の一角に立つところからは始まります。このときの彼は、「もうひとつの日記」の中にいますが、虚像と実像とが入り混じり、いつどこで現実が空想に変わってゆくのかは見る人によって分かれます。
これが「もうひとつの日記」のストーリーです。白人女性との愛情の交換、実の娘ではないとはいえ親子での関係・・・と、仮想の世界ですから何でもありです。遣り残したもうひとつの人生のなかで、夢のような生活を送ることができたのです。
人は、死を迎えるほんの一瞬に、その人の人生が鮮明に甦るといわれています。本当でしょうか。残念ながら、死んでしまった人に確かめようがありません。ところで、あなたが死の直前に見る人生は、現実そのものですか、それとも「もうひとつの日記」?