私の株友は、バブル時には4人いました。それが、97年の山一ショックで2人脱落、08年のリーマンショックで1人が夜逃げ、そして昨年仲のよかった1人が脳梗塞で倒れ、ついに私一人になってしまいました。
「1月13日の11時頃、ソファーでテレビを見ていたのですが、急に意識不明となり救急車で病院に運ばれ緊急手術を受けたのですが、現在のところ意識が回復していないのです」
昨年彼のところに幾ら電話しても通じないので、2月1日、はるばる河内長野にある彼の自宅を訪ねました。そして、奥さんと息子さんから話を聞くことができました。
彼は、大阪市立大学を卒業後山一証券に入社。昭和30年代の株式ブームに乗ってトップセールとして活躍し、その縁で大阪船場の繊維会社の社長に引き抜かれ、番頭になって専務にまで上り詰めて退任。不動産と株式で河内長野でも有数の資産家として悠々自適の生活を送っていると聞いていました。
退社後は電話で、話が株以外の日常生活まで広がり、通話もほとんど毎日のようになりました。
大阪の阿倍野から近鉄電車に乗り、郊外の駅から国道を5分ほど歩いたところに彼の屋敷はありました。帰り道、電車が藤井寺駅に停車し、窓越しに市街地を眺めることができました。彼は最近ここで土地を買い、ワンルームマンションを建てるといっていたのですが。
「株はもう駄目や。安いときに買った株がそれ以下になってもた。その点土地はええわ。知らんうちに金になる・・・」、とはいっても、株を辞めるつもりはないようです。「株は頭の体操で、ぼちぼちやりまっさ」
そんな彼でしたが、悩みは遺産相続と健康のことでした。
最近、堺市で起きた資産家が強盗に襲われて死亡した事件。有名会社の元副社長がラップで顔を覆われて窒息死し、家賃収入の80万円が盗まれたということで、事件の残虐性と資産家に焦点が当てられています。
でも視点を変えると、突然の死で遺産相続に対する備えはどうだったのでしょうか。彼はよく言っていました。「人間70になったら、財産なんか残さんと、使こうたほうがええ。幾ら金を持ってても、天国じゃ使えへんから」貧乏人の私に言っているのではなく、自分に言い聞かせているようでした。
その彼が、突然の病に見まわれました。一昨年、「ねえねえ~ユーサン。会社を辞めたら、医者と弁護士と坊さんとは仲良うせなあかんで。医者はとくにね。ゴルフ仲間で医大の教授がおって、その先生の医大病院で精密検査をしたんや。そしたら胃にごく小さな癌が見付かってな、普通なら見落とされる部位なのに、さすが大先生、たいしたもんや!」
彼は有名医大の病院で手術を受けた後、食事がまずいとこぼしながらも、好きなゴルフを週に3~4回やっていました。それから半年、脳梗塞に倒れてしまいました。貧乏人の僻みかもしれませんが、医者の友達は無理して作る必要はまったくありません。
なぜって、癌さえ見付からなければ、今でも毎日電話で無駄話をしていたのですから・・・。