iru*at*tu*ameさんのブログ
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年賀状は、買ったが、、、、。
今日、ようやく年賀状を買った。
我が家族は、家は焼失してアパートに入ったが、家族は全員無事だった。
しかし、あちこちの親類や友人の住所が「住所録」や、前のパソコンが流されたために
分からなくなってしまった。
郵便局には、「住所変更の届け」を出しているんで、来年の年賀状が届いてから
出そうかとも思っている。
しかし、埼玉の友人から安否確認の電話が有り「家族全員、無事だった。」と話したら
「そうだろうなぁ。あんたの家族は、何が有っても生きのびると思った。」と言われた。
家を焼失したとは、とんだご不幸に見舞われたのですね。
御見舞い申し上げます。
ですが、最後の文章で笑ってしまいました(^ω^)
不謹慎で申し訳ありません(;^_^A
今晩は。
我が家族は、東日本大震災で津波が上陸してから避難を始めました。
最初に避難した所から見たら、川を家が何軒も燃えながら海に流れていくのが見えました。
そこの避難所に車と家族を置き、山を歩いて自分の家を見に行きました。
自分の家の近くの避難所迄行ったら、そこの10m位前迄、壊れた家の木材や自動車が流れて来ていて、自分の家が見えるのに行けませんでした。
その内に、町内のあちこちから出火して、自分の家は勿論、避難所自体も燃えてしまい、そこの更の奥の墓地の中に皆で避難しました。
一時は、火事は山火事ともなり、家族の所にも戻れなくなり
かなり大変でした。
なるほど!
3.11での出来事だったのですね。
あの時は確かに、こわっぱの地元でも津波に流されながら燃える民家も多くみられたようです。
翌日の風景なんて、もう戦争でもあったんじゃないかと思うくらいの地獄絵図でした。
お互い被災者の身ですが、復興へ向け共に歩んでいきましょうね!
頑張ろう東北(^-^)
初めまして
私は津波の状況をオンタイムでテレビで見ていましたが、途中で気分が悪くなりました。
周りの人も同じような状況で、
食欲がなくなったとか体調不良を訴える人もいたくらいですから、
当事者の人々は大変怖い思いをされたことと思います。
>「そうだろうなぁ。あんたの家族は、何が有っても生きのびると思った。」と言われた。
きつい冗談と受け取る人もいるでしょうけれど、
ご家族全員が無事であったからこそ、ご友人も言ったのでしょう。
一日も早く、以前の生活に戻れることをお祈りいたします。
こわっぱv(・。・)さん 、今晩は。
私は、家族と再会した避難所で、役場の人から、「ここにも、山火事が迫って来ています。又、もっと避難して来る人達が増えそうですので、車で避難した人達は他の避難所に移って下さい。」と言われました。
そこで、家族で車に乗って他の避難所に移りましたが、そこは畑の中の避難所でしたが、町の方からは煙が上がっているんで燃えているのが分かりました。
我が家族は、そこで火災保険(地震保険)が下りる迄、避難所生活を続けアパートに入りました。
全国の皆様からの援助には、心から感謝しています。
ゼロからのスタート所か、マイナスからのスタートとなっていますが
お互い復興に向けて歩みましょう。
小督さん、初めまして。
私は家族で車で避難しましたが、避難所に向って坂を上っている時にバックミラーを見たら、家々を津波が押し流していくのが見えました。
避難所生活もかなり大変でしたが、家族全員無事だったのでアパートに入ってからは安定しています。
我が家族より大変だった人達は、数多く知っていますが、、、、。
以前の生活に戻るのは、かなり難しいと思います。
今は、「生き(のび太君)」状態です。
恥ずかしながら、、、、。