『大王製紙井川意高会長と堀江貴文氏とのギャップの本質 』
2011/11/29 22:40
http://31634308.at.webry.info/201111/article_29.html
【今、話題になっている大王製紙の井川会長について、一度書きたいと思っていた。
なぜそう思うようになったかというと、同じ東大卒の知能を持ち、若くして会社のトップに立ち、同じく東京地検特捜部によって逮捕されたホリエモンこと堀江貴文氏と対比し、そのギャップの大きさに思いを馳せるからだ。
井川会長と言ってもまだ若い。47歳で、娘が1人いる。娘さんがかわいそうである。いい年なのに。その企業グループのトップが、自身の配下の子会社などから100数十億円も供出させ、博打ですってしまった。とても、トップの器ではない。
井川家は、愛媛県伊予三島市、現四国中央市を拠点とする製紙会社で、創業者はリヤカーで新聞を集め、それを使って製紙会社の基礎を作った。問題の意高氏は、2代目井川高雄の長男として生まれた。2歳年下には同社取締役の弟の井川高博氏がいて、いずれ社長になるのであろう。
小学校卒業まで大王製紙・四国本社のある愛媛県で育ち、その後は家族と共に東京に引っ越した。小学生時代から東京の学習塾に飛行機で通っていたという。なんという家だろう。親も親である。こうなった責任は親にあると言ってよい。いくら金があるからと言って常識はずれである。父親の井川高雄は「超ワンマン経営」で知られたが、井川意高は大学在学中から父親の金を使い、銀座の高級クラブで豪遊するなどしていたという。
この井川家の四国の本家の番頭が出ていたTV番組を最近見たことがある。その番頭は、非常に厳しい規律に基づいて店を守っていたことを自慢げに話していた。特に印象に残ったのは、店での食事は一汁一菜であったが、こっそり海苔を付けて食べたら先輩からこっぴどく怒られたと話していたことだ。それほど厳しい規律だったのだ。従業員は辛く、自分の子には超甘かった。従業員には厳しい規律を強いていたが、そのころ渦中の本人は四国から飛行機で東京の学習塾に行っていたことになる。挙句の果ては特別背任を行って会社から金を巻き上げ、カケで100数十億円をすってしまった。何たることか。
一方、堀江氏は裸一貫で飛ぶ鳥を落とすようなライブドアを築いた。しかし、放送局買収、野球球団買収などあまりに無防備に動き過ぎて、検察に目を付けられ、出る杭は打たれるの格言通り逮捕されてしまった。その罪は有価証券偽計取引であったが、それは公判の末、シロ(無罪)となり、風説の流布のみでの実刑判決となった。風説の流布のみでの実刑判決は過去に例がない。最後まで抵抗した結果、反省の態度もないということで、裁判官の心証を悪くして2年4か月の実刑となった。今は長野県の刑務所で服役している。もし彼が逮捕されなかったら、放送業界の旧態依然とした体制も大きく変わっていたかもしれない。これは小沢氏の例とも通じる。
今回の井川会長の方は、親の威光で会社のトップに苦労せずになったが、それが故にトップとしての自覚もないまま、特別背任の罪を犯した。何とも情けない。その額も堀江氏の場合の比ではない。井川氏も実刑とならなければ、堀江氏とのバランスからしても不公平だろう。
『貸し家と唐様で書く三代目』ということわざがある。この意味は、繁盛していた大店も三代目になると道楽にはまり、家業を潰してしまう。家を人に貸して生計をたてるよりほかなくなる。得意の書道「唐様」で書いた張り紙で、借り手を探すという意味である。
民主党も、三代目の野田首相の政治もことわざ通りになってきた。野田氏も選挙という世の中の洗礼を受けていないままトップになってしまった。また創業の理念も忘れ去られてしまった。ここは、井川氏と同じように世の中の裁きを受けないと、お天道様が許さない。】