「ちはやぶる神代も聞かず立田川 からくれなゐに水くくるとは」伊勢物語第106段にあるというよりも百人一首に選ばれて、皆さんもよくご存知の歌です。でも、この歌をもっと有名にしたのは、五代目古今亭志ん生の落語「千早振る」ではないかと思っております。
それによると、「立田川という相撲取りが、遊女千早に惚れ通いつめたが振られ、その妹分の神代も言うことを聞かず、立田川関は相撲取りをやめ豆腐屋になった。何年かして遊女千早は落ちぶれて豆腐屋に現れおからを哀願したが、立田川は千早と知って断った。千早は絶望して川に身を投げた。つまり、おからをくれなかったので、水に潜った」というあれです。
もちろん、伊勢物語の時代に、立田川関がいるわけもなく、歌の解釈としては荒唐無稽で、誰だってこんな解釈をするやつを笑っていますが、相場の見通しになると、まともな解釈より一見荒唐無稽のほうが当たる場合があります。どちらの解釈が正しいか、実際後になってみなければ分からないことが多いのです。
ここに株の面白さがあり、同時に怖さもあります。というのも、株はいろいろな要素で動いています。表面に現れる事象だけで動いていれば、まともな解釈どおりに動くかもしれませんが、そうでない場合は、まともな解釈の裏を行く場合だって多いからです。ニュースの裏を読めとはよく言ったものです。
まともな解釈しかしないアナリストたちの相場観は、いくら聞いていてもあまり役に立ちません。新聞記者上がりのアナリストのような解説者に多いタイプです。相場がまともな解釈どおりに動くなら、みな百万長者になっています。といっても、勝手解釈となるとこれは少し厄介です。どんな事象でも、自分の都合のよいように解釈して、こうなると決め付けてしまう人もいます。勝手解釈は、なまじ筋が通っているだけにだまされます。荒唐無稽解釈よりもっと悪いのかもしれません。
それにしても最近は、情報の世界にも一発屋が横行しているのが気になります。あまり注意が行かない事象を取り上げて、全体がそちらの方に動くような理論を展開します。当たれば名前が売れると踏んで、あえて突拍子もないような相場観をぶっつけてきます。みんかぶの自称アナリストたちのレベルが上がり、証券会社では当たり前のことを言っていたのでは、食ってゆけないのかもしれません。
われわれ個人投資家は、情報の量と資金力で機関投資家にはかないません。われわれには公開された情報しか接することはできませんが、分析し解釈することで自分なりの相場見通しを立てることはできます。
そうしないと、われわれの大切な財産を守ることができません。