半世紀にわたって首都圏で活躍してきた昭和を代表する名車両「113系」が24日、最後の運転を終え引退した。引退記念列車が出発するJR両国駅にはファンら約600人が詰めかけ、別れを惜しんだ。
「プヮーン」。午前9時22分、ふだん一般客は入れない3番線の折り返しホームに長い警笛が響きわたると、ファンらは「おつかれさま!」「ありがとう!」とねぎらいの言葉をかけ、遠ざかる113系を見送った。
113系は昭和38年にデビュー。横須賀線に配属された車両は、クリーム色の車体に紺色の帯が施され、路線名にちなんで「スカ色」と呼ばれ親しまれた。横須賀線と総武快速線で平成11年まで活躍。その後は、新聞だけを運ぶ新聞輸送列車や千葉県内のローカル線で「余生」を送った。
両国駅はかつて、房総方面への特急列車などが発着したターミナルだった。3番線ホームはその時代の名残。千葉県へ夕刊を配送する113系の「新聞輸送列車」が昨年3月まで発着していたほか、かつて夏の海水浴シーズンには、113系を使用した臨時快速「白い砂」号や「青い海」号が房総方面に向け出発していた。記念列車には「快速 青い海」と書かれた往時のヘッドマークが取り付けられ、「有終の美」を飾った。
鉄道ファンで都営浅草線の運転士という古木修さん(32)は、専門的な見地から「運転台が高いところにあり、視認性に優れている。先頭車両の正面に(人が通れる)貫通扉があり、地下線区間にも乗り入れられるようになった」と113系の功績を紹介。「青春時代の思い出がつまった113系がなくなるのはさみしい。その後の鉄道車両の礎を築いた名車だった」とたたえた。
都心のターミナルで折り返さずに、都心を経由して郊外と郊外を結ぶ別路線の相互直通運転は昭和47年、横須賀線と総武快速線から始まったという。
総武快速線の錦糸町駅から東京駅を経由して横須賀線の品川駅まで地下線で開通。地下区間を走行できる113系が両線を結ぶと、それまで房総方面のターミナルだった両国駅は、各駅停車しか止まらない駅になった。
「今でも乗れる昭和の鉄道」(東京堂出版)の著者で作家の小牟田哲彦さんは「その意味で、最後の列車がターミナルの地位を失った両国駅から出発したのは、不思議な因縁と時の流れを感じさせる」と話した。
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