遺伝子活性法にある宇宙

私は宿命なのかも知れないが、45年前大事故に遭遇した。

当時は警察など普通の事故は白黒写真で撮影されたのですが死亡事故はカラー写真で撮影でした。

私の場合はカラーで撮影され救急病院で母は医師から「助かっても植物人間」と判断されました。

母は起業して大きくしていた企業の利益をかき集め私の体を回復させる為に金銭に糸目は着けず

諦めませんでした。私は2ヶ月間意識不明のまま闘病してました。

私はベットに横たわる自分が見えてました、そして左右の視野に暗闇が迫って光が一点になり

次の瞬間に野原に白い着物を着た人々が集まって順々に川から一定の間隔で流れて来る筏が流れ

先には杖を持ち白髪に白髭のお祖父さんが采配を行なってました。

私の順番になったのですが、そのお祖父さんの言うことには「お前はまだ若いから帰りなさい」と

杖を逆の方向へ向け道を指しました他の方は筏に乗っていたのですが私は杖に指された道の方向へ

歩いていきました。その頃母は寺に行っていたそうです。

そして杖の方向の道を歩いて気付くとベットの上でした。

病院の医師は母に「奇跡と言う物があります」と告げたそうです。

母は生前に言ってましたが「死なせてなるものか」で行動したそうです。

そうして小学校の入学の時は私は身をくねらせながら登校してました。

ここからが戦いとの始まりで母は幼いときに学力の高さを認定して置けば良かったと嘆いてました。

裁判では学力の事も問題となり、加害者は警察医だったので多勢に無勢で苦しめられ裁判は8年間に及び

裁判が一回開かれる度に10万円の出費でした、そして小学校低学年の頃は熊本医大に通院です。

その頃の警察の対応も仲間をかばうような対応で母は私を連れて警察に行った事もありました。

加害者は小学校教師までも出廷させ母が言うには加害者の優位なる様な裏取引があったようです。

それを裏付ける様に私を優位に意見した方が最後に必ず言う言葉がありました「貴方は悪魔だ」

熊本医大の三浦教授も有望でしたが、左遷され小さな病院にいました。

その頃から母は家の中では守ってやるが、この玄関を出たら七人の敵がいると思えと私に学ばせました。

そして弁護士の死や父の早過ぎる死や様々な死に直面した日々でした、母は弁護士の代わりも務めたそうです

父が生きていた時は私は勤労は許されてはいませんでしたが、稼いでました。

当時のお金で400万円は大金です、父は仏壇に上げてました。

その頃、様々な方が私の家に良く訪れてました、現在でも有名な方ですが、子供の頃の私が思うのにも

余りにも愚かな方が私に会いに来てました。

「戦争問題もありました」そんな中起こったのが山口組対九州連合の戦いです。

南に目を向ければベトナム戦争や北朝鮮の方も訪れてました「闇の時代でした」しかし救いは

平和維持軍への士官だったのです。

これが私の平和維持軍との出会いでした。

運命とは解らない物です。

この頃の母の教えは厳しすぎたと生前言ってました。

 

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この当時の医学はまだ謎と言われてました、今の様に機材は無かったのです。

そして、現在の医学は当時の研究に戻ったものと思います。

今でも医学は手探りの状態です。

 

 

妹が夏にはこの話いいよねと言ってましたが(笑)

もっと細かく説明しないと理解出来ないかな、何を言おうとしているか解らないかな・・

 

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