生き残ることの大切さ-その2

yuhsanさん
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私の持株の時価総額は、1989年のバブル時がピークで、以後22年間このときを超えることはありません。日経平均はこの間22%までになりましたが、私の持ち株は30%にとどまっています。ピーク時の3割です。


投信流にいえば、平均より上回っているわけですから、運用成績は良好ということになります。一方、ヘッジファンドからすると、資産を大きく減らしたわけですから、解散の危機になります。


私としては、バブル時に大きく儲けた中から、家を改修し投資資金をほぼ回収しましたので、現在の結果は「平均より上で生き残っている」ことに意義を感じています。あの時、株から足を洗って南の島でのんびりと暮らしたほうがよかったなどと考えたこともなければ、日本株以外の外国株、債権、商品などに関心を持ったこともありません。


とはいっても、株価の下落については、それなりに対応はしたつもりです。相場の流れを読み、上昇期には買いを減らし、下降期には現金を増やし、持株の入れ替えをしています。この22年間、株の勉強をし、世間の動きを読み、自分なりの相場観と投資方法を創りだしたつもりです。それでも、これほどの長期株価の下落には勝てません。


バブル時に5人いた株仲間は、97年の山一倒産時に2人、2003年のITバブル崩壊時に1人、そして民主党政権樹立時に最後の1人が脱落して、ついに私一人だけになってしまいました。
一人だけ生き残ったわけです。なぜでしょうか・・・。


 私はネット売買ができるようになった2000年まで、小さな証券会社を使って株取引をしていました。信用取引の担保が株券で代用できたからです。大証券では、当時は現金担保が普通で、売買単位が少ない個人投資家は敬遠されていました。


売買は電話を使ってやっていました。相場の雰囲気や見通しなどは、担当者とのコミュニケーションを通じて形成されるのです。1993年、株価はすでに天井をつけ、下降局面に向かっていました。そんな中、配転で担当者が代わってしまいました。


それまでの担当者は強気で、私とはとても肌が合っていました。ところが新しい担当者は、大学出で仕事熱心でしたが、どちらかというと弱気で、相場観も銘柄の判断も私とは微妙に違います。私も何回か担当者の交代を考えましたが、熱心で若い担当者の顔を思うと気がそがれます。そんなことで、何回か買いのチャンスを逸してしまいましたが、時間の経過とともに、買わないほうがよかったことが多くなってきました。


あの時、強気一本で押し通していたら、どうなっていたでしょうか。今の私はおそらく株の世界から弾き飛ばされていたでしょう。ネット取引になって、その証券会社とも縁が切れましたが、いまでもあのときの担当者のことを忘れません。


以来私は、たとえ自分と合わない意見でも、必ず聞くようにしています。たいていの場合は、自分なりの投資法を貫きますが、株に絶対はないと言い聞かせています。


そうして、何よりも生き残ることを第一に考えて行動しています。生きていれば必ずいいことが来ます。

 

 


 

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球さんのところから来ました

貴重な体験の書き込み

そして、この日記、じっくり読ませていただきました

一言、お礼が言いたくて・・・

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