堅実さんのブログ
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歌手が歌手であるためには 23年8月20日(土)20時23分
歌手が歌手であるためには、歌手が歌手であるからである。
役者が役者であるためには、役者は役者であるからである。
今、NHKの13日放送の、懐メロをラジオで、聞きながら書いております。
やはり、最初は「上をむいて歩こう」でした。聞きながら思ったことです。
歌手は、歌手であるためには、やはり不断の練習が、必要です。それが歌手の条件では。
ここから先は異論があると思いますが、役者はその私生活は、人には見せてはならないのではと、ふっと思いました。これは、極端すぎますが、役者はその私生活に、厳しくなければと思います。
今、日本は下り坂です。この先どんどん悪化するでしょう。その中で、人々の心を慰め、勇気ずけるためには、厳しい努力が必要です。そうした中から、感動は生まれるのでは。だから、人々の目にとまる歌手や役者は厳しい条件が課せられるのでは。厳しい条件をクリヤーして、歌手は歌手に、役者は役者になるのでは。
今でも、半年前の無様な生活を見せた、歌舞伎役者の舞台は、見たくない。これからの精進を願う。
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同感です。
被害者でもあり、加害者でもある傲慢男。この男の被害者は加害者として留置されている。
有名人だからの恩赦は、本人のためにならない。
nyajyara さんへ
有難うございます。 かなり、非難を承知の日記です。
しかし、人間、生きるためには、誰でも、真剣な生き方が、必要ではないかと、思いまして、
「歌手が歌手であるためには、歌手が歌手であるからである。」を書いたものです。
歌手が歌手であるためには、の言葉には、私生活のことは、全く言っておりません。歌手であるためには、日頃の、歌手であるための、練習が、必要ではと、思いまして、書いたものです。
また、これは、何も、歌手でなくても、私にも言えることです。まだまだ、たるんだ自分も考えて、言ったものです。
生きるには、やはり、のんきに構えている事は無いと思っております。
厳しいかもしれませんが、余暇をとるのは、死んでからでもよいとも、思っております。(今日は、少々、ハイテンションです。)