私は今まで無言で自分の欲望に対して厳しく自分を律して、自分の自己犠牲を無言で自己昇華し
自己の確立として母が起業した民間の零細企業の相談事で解決策を環境判断して結果から答えを出し
母は子供の私が言った事に理解をするために初心の学びを賢明にして努力を惜しまなかった。
母は自分が女性だからと謙虚に私に意見していた、母も自己犠牲の学びで「女は学が苦労の邪魔をする」
この言葉を絶えず言って健気に地道に民間の起業を起こし、私に自己犠牲の哲学を実地で学ばせていた
当時は今の様に簡単に女性が起業起こし融資など銀行に手続きして起業融資資金を借りられる便利さは
無かった。母は祖父や祖母から授かった晴れ着や記念の思い出の品を質屋さんに預けお金に換金して
材料を揃え、営業も自分で行って商売を始めた、祖父や祖母は女学校の教育を受けさせたが母は反省が
ある様で常に「女の学は苦労の邪魔をする」と言って自己努力を重ねていた、そんな母は営業も小さな仕事から
行って現金を貰って次の仕事の営業して職人の世界の仕事を零細企業を営んで日々仕事に励んでいた。
そんな仕事をしながら職人の父に社長の椅子を用意して父を据えた、そして父が仕事をしてる間に営業をしたり
役所に手続きをしたりで徐々に仕事の規模を大きくして企業の監督に会ったり、飛び込み営業したりしていた
そんな母は私達子供の食事を作ると、仕事を通して子供の教育にも熱心に世の中を説いて私に相談をしたり
会社の事務など行い大人の背中で子供に実地で学ばせていた、この事を思い出す時は母の割烹着の印象だ
そして起業した仕事を繰り返す内に県内でも有名な大企業にした、年金の保障など無い時期の事です。
そんな母は私が答えから出す意見に学んで意見を聞いて役所に手間を惜しまず出掛けて人生観を教えた。