何でこんなことに

芦屋 健一さん
芦屋 健一さん
 3・11に発生した東日本大震災により、山元町の自宅は跡形もなく流され、おまけに妻子を失い、体育館での避難所生活を余儀なくされています。
16年前の阪神大震災の時、気の毒だなと感じていた難民生活を今度は自分が送る嵌めになっています。
生きる気力の80%を失った状況です。 
「神様は、乗り越えられない試練は与えない。」と言いますが、今回の試練は、地震、津波、原発事故、風評被害の四重苦であり、簡単には乗り越えられないかも知れません。
幸にも助かった娘と二人で、細々と生きて行ければいいかなと思っています。
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芦屋 健一さん はじめまして

 

 

ワタシの友達も芦屋さんのお友達のようなので安心してコメントさせていただきます。

 

偶然ワタシの家族も同じ被災経験がありますしワタシに懐いていた姉の子も(甥っ子)若くして亡くしてつらかったです。

母が倒れた時には頭の手術でお金には変えられない母ですが

中古のベンツを買える位の手術費用がかかりました。

また、我らいろんな事がありましたね。?

ワタシ自身も失われた数十年を経験しており芦屋さんの意見にもうなずける面が多数ございます。

ワタシはそれで精神肉体どちらも鍛えられています。(笑)

 

あと、東北には母方の縁戚があり高齢の親が震災後何やらもさもさ

大きな箱に東北行きの物資を詰め込んでいる姿を家で何度も見ております。

(ワタシは収入の半分は、親に渡していますが何も言う事はありませんでした。)

そんな我が家に東北の被災地から郵送物が届きましたが・・・

複雑な心境の我が家とお互いの縁を感じているのでした。

(毎年東北と我が家とでお歳暮の交換をしておりましたが複雑な心境がありました。)

 

何より希望ですよ!

 

つらい事をバネに戦後の食べ物もない

仕事も無い

焼野原を

我らの数代先の祖先たちは生きてきたのですから

我らで協力して乗り切りましょう。

 

 

コメント、ありがとうございます。

生き延びた人達は、これからも生き続けなければなりません。

そのためには、おっしゃる通り「生活基盤の確保」が絶対に必要です。

しかし、難しい問題です。

こんばんは。あしあとからやってきました。はじめまして。

 

先日、愚息が福島県のお嫁さんと結婚しました。ご両親も福島から避難して仮住まいです。東電関係者が親戚などにいるので、原発のせいで苦労しているとは、おっしゃいませんでしたが、実際は、避難、仮住まいなどで、大変のようです。

なにより、生活基盤を失っているのが、今後の計画を困難なものにしているようです。

 

ということで、他人事でない気がして、コメントさせていただきました。

 

生き延びられた方々に、これ以上がんばれとは言い難いとは存じますが、人の生きる道は誰しもがんばるしかないわけで、今後もともにがんばっていきましょう、と声かけさせていただきます。

ありがとうございます。
何とかやっております。
こんばんわ。パグマンボウと申します。
私の娘は二十歳です。
私の血を引いたのか、非常に神経質で傷つき安く、
いつも物事を悪い方にばかり考える愚か物です。
優しい妻が、何とか支えてくれていますが、
その妻も最近愚痴が増えてきました。

私はほとんどちからになれず、口数もありません。
が今日私に健康を案ずる、お守りをそっと差し出しました。

聞くと、最近弱っている様に見えたから。といわれました。

口数はなくとも、よく観察しているのだなと思いました。
芦屋様のご苦労に比べれば、私なぞと思いました。
今日は娘は可愛い、と思いました。

芦屋様、どうぞ娘さんを大切に、協力なさって頑張ってください。

失礼いたしました。
再びコメントを致します(^-^)
僕の場合、勝手にコメントしたいだけだから無理にご返事コメントを求める気持ちで書きこんでないので…お気軽に為されませ(笑)
茫然自失の心境はその状況に陥らないと解りませんねぇ。

幕末から明治に至る戊辰戦争で賊軍の藩となった出羽・庄内藩も〓死力を尽くして偽官軍と闘ったにもかかわらず敗軍となり恭順・城明け渡しの流れに成った当時の現状では藩主・家来共々、茫然自失の心境であったに違い有りません。災厄に巻き込まれた心境の続く中で今一度、戊辰戦争終結時期の人々の生き方を学んでみては如何でしょうか?
【どん底の・そこが新たな・出発点】
↑その庄内藩の菩提寺の寺門に書かれていた一句でした。
山形県酒田市より
nyajyaraさん
こんにちは。

大変でしたね。

私も父を事故でいきなり亡くしたことがあるので、気持ちはよくわかります。
父を亡くしたあと、持病の不整脈が悪化しました。半年間続きました。

nyajyaraは、父親っ子だったから一緒に逝きたかったです。

今すぐには無理でしょうが、時が気持ちを安らかにしてくれます。

お父さんにとっては奥様とお子さんを亡くされて、茫然自失をされているでしょうが、子供の娘さんにとっては、お父さんである芦屋健一さんしか頼りにする人はいないのです。

せめて、娘さんの前では、笑顔を見せてあげてください。
お早うございます

なんて言葉をかけていいか分かりませんが・・・

本当に辛い思いをされていると思いますが、いつか今日よりも心が落ちつくと思います。

どうかお嬢様と励まし合って乗り越えてください。
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