ユリウスさんのブログ
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○○嫌いの原因 - 先生
湯川秀樹先生の回想録「旅人」の中に、三高時代のエピソードがある。数学の得意な湯川先生が数学嫌いになった話。
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立体幾何を担当している先生の講義は、講義としては充実していた。それは私も認めていた。ただ、この先生は、学生の全部が、一字一句ももらさずにノートしていないと、機嫌が悪い。しかも、講義のスピードは非常に速いのだ。よほど注意していないと、ついていけない。
三高に入って間もなくのことである。
この先生の時間中であった。聞き取れない所があって、私はふと手を休めた。まだ、なれていないせいもあったかもしれない。しかし、手をとめている私を、先生は目ざとく見つけ出した。
「小川君、何をしていますか?」
とげとげしい目であった。きつい声であった。クラスの者全部が、はっとしてペンをとめた。(中略)
その時は、先生の度を越した厳格さに反発する気持ちを、起こすだけの余裕もなかった。が、授業がすんでしまってから、私はなぜ、それほどまでに語気つよく注意されねばならなかったのか、よくわからなかった。これでは数学でなくて、軍事教練と同じだとおもった。
(中略)
新学期の最初の授業時間には、先生がそれぞれ、自分の学科で注意点をとった者の名前を読み上げるのだ。60点以下は不合格である。(中略)
立体幾何の時間であった。
「注意点をとったものは・・・・」
先生は一度、教室中を見渡し、早口に氏名を呼び上げていった。何人目かに、
「小川・・・」
という名がその口から出た時、私は自分の耳を疑った。一学期の試験は全部出来ているつもりだったからだ。信じられなかった。(中略)先生の返してくれる答案を手にするまで、半信半疑であった。が、-答案を見ると、三問中の三番目が確かに零点になっている。(中略)私は急いで、私の解答を検討してみた。証明は、どこも間違っていない。ではなぜ零点なのか? 私は友達にも、きいてみた。友達も私の証明の正しいことを認めた。しかし、一人のクラスメイトは、
「それはね、先生の証明のしかたと違うからだめだったんだ」
と言う。
「あのせんせいはな、自分の講義中にやった証明の通りにやらないと零点なんだ」
そういわれれば、私はいうことはなかった。なるほど、私は先生がどう解いたかを憶えていなかった。それで別の解き方をしたのだった。私は、私の証明が間違っていなかったことに安心した。もう点数はどうでもよかった。しかし、数学に対する興味がいっぺんに冷却してしまった自分を、どうすることも出来なかった。
私を数学の道から簡単に追い出したのは、この時の先生の採点の仕方だった。少年はいきりたって、もう数学者に絶対なるまいと決心した。先生に教えられた通りに、答えなければならに学問。そんなものに一生を託すのは、いやだ。-
(中略)
もっと後になって、数学が決してつまらない学問でないことも認識した。創造的活動の喜びは、そこにも潜んでいることを知った。
我々凡人でも、小学校、中学校、高等学校の12年の間には、先生のちょっとした不用意な発言や、先生と言う権威をまとった態度等が原因で、数学嫌いになったり、音楽嫌いになったりするのを経験している。「先生も人間だから・・・・」と言ってなだめる方もいるが、厳しい先生だからという理由だけで生徒は先生を嫌うものではない。その厳しさが先生の権威主義や独りよがりの教室運営(自由を制限されることが多い)や学問に対する謙虚さの欠如などを生徒は見抜いていて嫌うのだと思う。尊敬する気持ちがなくなるのだ。そして、不幸なことにその先生がいる限り、その教科は大嫌いのまま、学生生活を過ごす。不幸なことだ。
もう一つのエピソード。
(前略)
仁科先生その人に私は引かれたのである。人見知りの激しい私も仁科先生にだけは、何でも言いやすかった。自分の生みの父親にさえ見出すことのできなかった「慈父」の姿を、仁科先生の中に認めたのかもしれない。
翔年は思う。学校の先生は教科を教える技術レベルも大事だけれど、まず人間的に立派でなければならない。人格者でなくとも、人間的魅力を持っていることは最低の条件であると信じる。あなたも小中高時代の懐かしい先生を思い出していただきたい。思い出すのは優しかった先生だけではないはず。必ずや、厳しかった先生も懐かしく思い出される。それらの先生は何らかの意味で生徒のリスペクトの対象癒だったに違いないと思う。
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