芸術と商業主義の対立
ヴァイオリニストの友人によれば、カルテットは「自分が4分割されている」感覚だそうな。4人でひとつ。1人が変われば全体が変わる。
30年も活動をつづけてきた鹿間弦楽四重奏団のチェロが引退する、と言い出したとき、創設者で第1ヴァイオリンの鹿間が解散を宣言したのも無理からぬことだった。
本書は、弦楽四重奏団の終焉(しゅうえん)の模様を、4人のメンバーと彼らをとりまく人物の視点から描いた音楽小説である。
「カルテットはまさに、音楽が、関係でできあがっていることの、縮図のような見本です」と、チェリストは言う。メンバーは、互いに聴きあいながらずっとやってきた。
呼吸がぴったり合ったときの快感は、一般人が想像もできないほど大きい。第2ヴァイオリンは「羽がはえたように全身が軽くなり、俺の魂は天上へいく」と表現する。鹿間の元恋人は、恋愛より「もっと緊密」なカルテットの関係そのものに嫉妬する。
4人がいくらすばらしい演奏をしても、客席に届けなければ意味がない。マネジャーの仕事は、「環境を整え、彼らの音楽を金に換えることだ」。CM、イベント、スポンサー探し。しかしバブルははじけ、メセナ活動も下火で、メンバーだってチケットを売らなければならない(これがクラシック界の現実です)。
私が好きな登場人物は、美山さんという掃除のおばさん。クラシックが好きだからホールの掃除婦になったのだが、掃除婦だから演奏は聴けない。それでもいいのだと彼女は言う。ホールには「残響」というものが漂っていて、興奮の残った会場を掃除するのは嬉(うれ)しいことだとも(何とステキなコメントだろう!)。
鹿間弦楽四重奏団のラストコンサート。客席には掃除婦の美山さんも鹿間の元恋人もいて、天上の音楽を共有していた。客席は満員だった。
著者はこんなふうに、コンサートにかかわるさまざまな立場の人に語らせることによって、芸術と商業主義の対立を浮き彫りにする。切り口は鋭いが、読後感はほのぼの温かだ。ちょうど、極上の音楽を聴いたあとのように。(