七里の渡しと大瀬子公園
2011年04月16日
1.大瀬子公園です。ここには熱田魚市場がありました。その歴史は古く天正年間(1573-1592)には信長の清須城に魚介類を運ぶ魚問屋が集まり、寛永年間(1624-1643)には藩の市場としてたくさんの取引が行われました。最盛期には数千人が取引に参加したそうです。今はもうその面影はありません。今は綺麗なヤエザクラが迎えてくれます。となりで女子高校生も携帯で写真を撮っていました。
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2011.16大瀬子浜公園の春
2.七里の渡しは今は渡し船はなくなり、20人の屋形船が電話予約のみで運航されると聞く。10人から乗船可能です。お祭りの時期のぼんぼり船は綺麗です。(Y)
七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、1601年(慶長6年)の東海道制定の際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来する。船によって移動し、所要時間は約4時間であった。「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言った。天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。海上を避ける迂回路としては、脇往還の佐屋街道があった。宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇った。
現在でも七里の渡しに関する遺構を見ることができる。また、往時を偲んで、熱田・宮の渡し跡-桑名・七里の渡し跡間を観光船で巡る「平成七里の渡し」が企画、開催されることがある。
宮宿側遺構 :渡船場跡が宮の渡し公園(名古屋市熱田区神戸町)として整備されている。(ウィキペディア)
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