伝説の六本木の有名店に私が仕上げた

深夜の営業だったが座っただけで3万円のお店だった、

あの頃は今と同じで不況の頃だったが私が勤めだして店は変った。

最初は慣らしてたが、ある時に芸能関係者が続々現れ、長嶋監督が来たり

雨宮良が来たりしてた、そして私は社長の代行も務めていた、まず店の鍵を

渡され金庫の鍵も渡されて、夜の9時出勤で私が最初に店に入り掃除を済ませ

セッティングも私が一人でやりホステスは夜の10時に出勤を迎えて、可愛がられて

居ました、そして11時開店まで店のホステスと談話して笑いが絶えなかったです。

そしてママの出勤を迎え、明るく勤めていた。しかしお客さんはまだ開店しないのと

入って来たり電話対応で忙しくなり始めるのが10:40を過ぎる頃で店長の私が

対応してたが、お客さんは女性のお客さんばかりで男性がお供に付いていた。

12時頃になるとショータイムがあって私が照明を操作して音響も私の係りです。

しかし30分から45分のショーはホステスには練習はきつかったらしいですね。

3ヶ月に1回変る演技を見に来るお客さんは、若い体力にもきつかった毎日が

脱水症状で店の中を走らないと、お客さんの注文に追い付かない毎日で3回は

大汗を掻いてました、ウェイターを雇う位なら自分で行動してた方が早かったから

ママと会話して裏方は全部私の仕事場で何から何までやっていたから器用で

潰しが利く店長として頑張った、六本木は私の遊び場だったから歩いていると逢う

お客さんでした、食事している処まで来たのはびっくりで、六本木には2人の

松ちゃんが居た、そう私と友人の松ちゃんです。2人とも週末には互いの店に

行ったり来たりでお客さんを流して席を予約して松松コンビで六本木で仲良くして

ママも友情よねと微笑んでいたし、食事のお弁当の注文も入れて届けてたりです。

お客さんに呼ばれる事が多かったが接客の仕事はホステスの仕事場だから私は

仕事がありますのでと連係プレイで美味く行ってた、そんな有名な店だから極道も

来てたし大人しかった、しかし田舎のやくざにはママが切れたのでママここは一流

だった、高級バーに早代わりです「松山」解っているわねで上げ膳据え膳の接待です

お会計の時に「0」の数が違うのに親分は固まった様です、みんなが引いて会計は

私が渡す役目で笑みを浮かべ「ありがとうございます、領収証は必要ですか」と

会計を受け取り行く、散々失礼な態度だったがそれなりに失礼の無い態度で交わし

地元の地回りが出る必要も無い様にしてた、六本木で「松山店長」で名が通ってた

毎日が満員御礼にして若いから昼間は無茶してた、店の女の子を警察から引取った

り泊まりに行ったりでしたが、その代わり週末の食事はママが「松山」何処に行くと

言ってたが友人のもとは決まってたから団体で行って「席を予約して」私はパクパク

10人前位食べてママはそれでも笑っていた。そんなママもハワイに移転する事に

なったが一緒にと誘われた時に行って置けば良かった、少し過去を振り返って見た。
4件のコメントがあります
1~4件 / 全4件
yoc1234さん、こんにちは。
若いと言うのはこれが財産なんです、一人で裏方全部行って店長張ると言う事は
経験を積む事が出来ると言う事です、お金の問題では無い接客業でした。
まぁ地回りが私を避けてすれ違ってましたので、どれだけ稼いだか。
殿下、こんにちは。
店は松山千春より稼いでましたよ。
国会議員が来る位でしたから、さすがの私のタフさも稼ぐ程に痩せて行って45kgに
なってホステス5人にママと社長と自分の給料などと家賃を合わせて稼ぐのに大変。
yoc1234さん
こんにちは。

人生色々ですね。
本当に昔の話は色々あるようです。
二度と来てほしくない客にはそれなりにするのはよくわかります。
知らないとこに、ぶらりと来たら直ぐ返る。
これが一番。
殿下といい、有名人ばかりのみんかぶですね。
企画プロさん こんにちは

企画プロさんの正体って松山千春さんだったんですか?(笑)
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