定まった物に対して自由を選ぶか何を求めるかです。

世の中には物質があり、定まった物があってそれは自在では無い物がある。
その物質を扱うには法則があり、卓越した経験が必要で、自らを由と思うなら
義務・責任・権利の意義の上に立って意見を言う事は過去を知り現在の状況を
知り未来を担う広い視野を持たないと「自由」を語れない時が訪れている。
①公式を第一とするか、定まった事を認めるかで自由の品位が変わって行く。
政治も、経済も、生活も同じで自由を認めすぎたり、我侭の矛盾ある公式を
放置して置くと軸はずれて時が経てば経つ程、重大な決断をしなければならないのが
定まりを公式で矛盾化し昇華するのを遮ってしまうなら公式は無効と言う事になる。
物質に置いては自由と言う観念は無く学ばない自らの我侭の思想が崩壊を招くので
お互いを牽制する時代は後れているのでは無いだろうか。
磨かれてない原石は存在するが、我侭な私利私欲な公式も存在するのは事実で
公式が結晶の定めを超える事が容易ではなく、公式で来た世界が偏った意見で
恐慌を世界が向かえているのに、まだ自らを由とする女性的な現実しか見ない
小手先の公式で私利私欲を追求しようとするなら、自らを惰弱に行くと言えよう。
2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
我らの希望さん、こんばんは。
自然は優しいですが、猛威を振るう自然は人間の我侭を許しませんし通用しません。
日本は、方程式で進んで来ました島国です、本当の弱肉強食の社会を通過したのに
頭では学んでも、行動が取れないのです。
次元を超えた、昭和列伝だったのに何時の間にか無気力になってしまった、過保護です
すばらしい良いお言葉です。

傑作に値する名言ですね。
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