サイコさんのブログ

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インパーソナル


  資格ブログ村  法律系資格 現在 46位   士業(弁護士、会計士等)  現在 17位天皇・反戦・日本  浅羽通明同時代論集治国平天下篇浅羽通明という人はルサンチマンの人かと思っていたが、まったくサイコの誤解であったようだ。すでにこの人の本を何冊か読んでいるのだが、この本もタイトルだけからすると、完璧右翼か? と勘違いしてしまうのであるが、全く右よりではない。保守中道というものは大体からして、右派的な要素というものを最初から含んでしまっているので、ちょっと過激に、先鋭的にものを言ったりすると「右翼マンガ」という反動的な過激発言で返されてしまうことは、ままあるとしても言ってる本人の「次元の高い論争」というものを自ら低レベルに堕してしまう陥穽であるようだ。その陥穽をみごとに回避して、あるいはその上に乗っても落ちない身の軽さというものが浅羽には感じられるのである。うーん、神か? 浅羽がここ20年近く発行しているニューズレター「流行神(はやりがみ)」というタイトルからして、ちょっとはそんな自負を持ってたりするのだろうかとも勘ぐるのであるが、まぁ、昔取った杵柄でカルティックなニュアンスを滲ませているだけのことではあろう。さて、その「流行神」からテーマ別にピックアップして現在的に加筆・編筆した集大成が天皇・反戦・日本である。まず、浅羽が以前はよしりんのブレーンであったということで、当時のゴー宣で、「ロイヤル爆弾」なる過激さをある意味讃えるような文言も出てきたりする。と、思いきや流行神№199(05/07/24所出)からでは、よしりんと諍いのあった例の佐藤優の国家の罠を平成の名著と讃えていたりもする。後、例によって、香山リカをプチナショ絡みで批判してたりする小気味よさもあったりと、浅羽の感覚はある意味サイコに近い感覚なのである。後、改憲に関するところで、「前文削除」というのも目から鱗である。もともと、法律家を目指していた人だけに、憲法に対する理論的な思考(解釈ではない)というものは明晰で、イデオロギーを排した上で最も単純でそれこそ右も左も認めざるを得ないのは、憲法は単純に全ての法律の基礎だ、ということである。憲法(条約が含まれることもある)は全ての法の最高位にあるというだけのことである。そこにいらん主義主張が介在するから、例の井上薫のような元判事が反動的道徳論を法に介在させようとする本末転倒的な解釈も出てきたりするわけである。余談はさておき、流行神№199からの「協働体日本の方へ - 佐藤優『国家の罠』を読む」では、「インパーソナル」というキーワードから、サブカル的なのりで「国家の罠」を書評している。ここで、「インパーソナル」というキーワードは、浅羽が学生時代に全集を読破した花田清輝という左翼評論家が晩年、好んだ用語で、経済上の利益を度外視した機能的な人間関係、という意味合いらしい。ここで、花田が好んだ史上の例として、舅である滝沢馬琴とお路との協働関係について、例示的に「インパーソナル」ものとして2例あげている。ひとつは、アニメ/ルパン三世「カリオストロの城」のルパン三世と銭形警部との敵対する者であるにもかかわらず、目標とするものの遂行上の同時性から協働的な行動となる関係。今ひとつが、佐藤優が「国策捜査」で逮捕されたときの、西村検事との協働作業としての調書作成である。両例示も相対する者同士には、立場としての反目がありながら、ひとつのミッションを協働する関係が成立しているのだが、絶対に「握手」はしないのである。話をおおもとの、舅である滝沢馬琴とお路との協働関係に戻すと、「馬琴とお路は、前近代的上下関係が(脱)近代的協働関係へ止揚された例」(「天皇・反戦・日本」第四部 日本国を構想するP239)で、ここでこのアウフヘーベンという用語でもって、浅羽は止揚前止揚後というふうに使用しているのが、サイコはイタク気に入ったので採用した。まぁ、それは余談としても、現体制化でのアニメというフィクションの例と、佐藤のノンフィクションの例がまさに現代の「インパーソナル」なる関係だということである。要は、諍いでなく佐藤とよしりんもこの「インパーソナル」なる関係性へアウフヘーベンしなければいけないんだろうなー、というところである。グゥーーーーーー
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