日本株を弄るようになって、株オフ会に頻繁に出席するようになった。
そこで若い成功しているトレーダーと話してみて感じることは、彼らは間違いなくある特殊な才能が寄与しているということ。
もちろん努力も不可欠だ。
しかし、投資家、とくにデイトレにはやはり適正というものが間違いなく存在すると思う。
いうまでもなく、ギャンブラーとしての資質だ。
海外の著名なトレーダー、ウイリアム・エッグハート、ブルース・コフナー、ヴィクター・ニーダーホッファー、いずれも数学的センスに恵まれ、確率論的観点から投機というギャンブルにのめりこむタイプが少なくない。
かって、LTCMを率いていたジョン・メリウェザーは週末になるとIQ170以上の部下達をつれて、自家用ジェットでラスベガスへ遠征にいったそうである。
そこで稼ぎすぎて、あるカジノで出入り禁止を食らい、ついにはトランプゲームのルールまで変えることになったというエピソードは有名だ。
日本でも億単位で稼いでいる人は、ほぼ例外なくマージャンがプロ並にうまかったり、あるいはパチプロあがりだったりする。
それらのギャンブルは、運の要素も大きいが、長い目で見ると、どうしても「腕」=技術といったものが勝敗を分ける。
ワタシは学生時代から賭け事にはできるだけ距離を置いてきた人間で、そのことがトレードで生計を立てている者として若干のコンプレックスになっているほどだ。
このさい、誤解を恐れずに断言してしまおう。
短期の株式投資とはギャンブルそのものであると。
だからこそ、継続して市場平均を上回るようなパフォーマンスを残せるともいえる。
戦略を練れば、効率的市場仮説は覆せるのは、多くの知的なプレイヤーによって実証済みだ。
たとえば、どうしても損切り出来ない人ってのは、まったく出ないパチンコ台にいつまでもすがりついているようなものだ。
自分の選んだ台が間違っていたとわかったら、すぐに次の台に変わらなきゃいけないのに、グズグズして一日中へばりついている。
これじゃ、店側のいいカモで、絶対に勝てるはずがない。
お金がいくらあっても、やればやるだけ消えていくだろう。
上手い人は出ないとわかったら、すぐに次の儲かる台に乗り換える。
株のトレーディングもパチンコも、見切り時が肝心という点ではとても似ている。
勝てないという人は、ゲームのセオリーからハズれた、間違っていることをやっているから勝てないのだ。
そして、本人はいつまでたってもそのことがわからない。
だからって、ちっとも凹む必要はない。
株に向いてない人は、やらなきゃいいだけの話だ。
乱暴な言い方をすれば、経済のことなんて勉強しなくても株では勝ててしまう。
逆に、頭でっかちの経済学者がトレーダーとして成功する保証はない。
ケインズが株で大損食らったのも、エコノミストとしては極めて優秀だったが、ギャンブラーの才能が欠如していたと思えば納得がいく。
では、ギャンブラーとしての資質がなくては株で勝てないのだろうか!?
愚かな質問だが、解答は誰もが薄々気付いている。
肝心なのは、このマネーゲームをどこまで愛しているか、愛せるか?ということだろう。
安易に金を稼ごうなどとナメてかかれば、遠かれ早かれいずれ退場する羽目になる。
勝っておごらず負けて腐らず。
常にマーケットに真摯な姿勢で対峙できる者だけが、選ばれた勝者となる。
ゲームを愛していればこそ、死にもの狂いで努力することができる。
スカした態度の相場の女神も、いつしか股を開こうというものだ。
華々しい成功を収めたトレーダーというのは、常軌を逸したマーケット至上主義者であり、同時に変質者でもある。
四六時中、彼女(相場)のことを考え、頭の中身はチャートと株式コードで支配されている(笑)。
「僕は、自分の成功は僕の相場への愛情から来るものだと思っている。僕はただの平凡なトレーダーではない。トレードが僕の人生そのものであり、それに情熱を燃やしている。趣味だとか、ただの職業とかいうことではない。僕はトレードこそ、僕の天職だと思っている」
天才相場師、エド・スィコータの台詞を思い出す度に絶望的な気分になる。
ワタシにはそこまで言い切る自信はまったくないからだ。
常勝トレーダーとして巨万の富を築くには、とてつもない献身と熱意が必要であり、それこそ、あのBNF氏のように全エネルギーを相場に注ぎこまなければいけない。
しかし、それはより円満でバランスのとれた満足できる人生を犠牲にして成り立っていることを忘れてはならない。
絶好の収益機会である週明けの相場を離れて旅行などしている自分はトレーダーとしては敗者かもしれない。
だが、後悔はしていない。
人生とは一度しか見ることができない映画だ。
同じ場面は二度とない。
ワタシにとってトレーディングとは手段であって、目的ではないのである。