【台風】が行き過ぎました。。。
(直接、くるような感じもしたのですが。。。)
久しぶりの【台風】で。。。
いままで、【どうしても、ふん切れなかった】事が
=狂ったような風の音=を聞いたならば
何かが変わるのではないか。。。。
そんな気がして。。。
↓の音楽を一晩流しながら
「雪」―中島みゆき
http://ongakukan.music.coocan.jp/musicstudio/6-mawa/myukimiyuki.html
【台風の音】を聞いて、いつしか、眠ってしまったようで。。。。
=どのように生きたところで、変わりはしない。。。=
と常日頃【自分に言い続けてきたのに。。。。】
いざ、其れを現実に実践する段階になると
そう言い切れないない物が
【自分の中にあったようで。。。。】
人並みの【幸せ・喜び】そんな物は、
すべて=幻想だ!!!!!=と言いきれない物が。。。。
=ヒリツクヨウナ日々を送り、消えて行けたなら。。。。=
その様な【生き方】は、不可能であり
それこそ【幻想】である。。。と多くの人は感じ
=日々の暮らしの中に埋没していく。。。=
しかし、其れができない
【私】は、本当にウロウロしました。。。
できなければできないでいい。。。
=こんなバカがあったという事を、
最後に自分で自分を嘲笑う事が出来る
人生を送ろう。。。=
そんな【覚悟】が体全体に染みわたった時に
まったく、予想もしなかった【世界】が見えてきたような気がします。。。
少しだけ、ふん切れたような気がしている
【今】です。。。
この世があり、そして、
【あの世】がある。。。。
(あの世という物が、本当にあるかどうか。。。それは、
判らない。。。
しかし、いままで、
数限りない不思議な体験をしたことから
考えても
=目で見える世界・耳で聞こえる世界=がすべてではない。。。)
この世だけを見ていては
=本当の生き方は、できはしない。。。=
また、、
=あの世を中心にして、この世を軽視したり・冷笑するのも
どこか、無理なような気もする。。。=)
この世とあの世の【狭間】に=漂い=生きてゆく。。。
其れが、もつとも、
=今、この【瞬間】を生きる方法である!!!!!!!!!!!!!!!=
という事は、もう、ずいぶん判りすぎるほど
判っていたのに。。。
其れが、眼前に現実に広がってくるとしり込みするものが。。。
今までのすべてを
【否定】して、
=逃げて逃げて逃げ回ったら。。。=
【逃げる事に疲れ・飽きてきたような。。。】
どんなに【否定しても・逃げても】
=現実=は、変わらない
ただ、【なにもしなかったという時間だけが過ぎてゆく。。。。。】
何かを残せば其れにこした事がないが
其れよりも、
【なにもせずに、=時間だけが過ぎた人生だった。。。=】
というのは、何よりも耐えがい。。。
その様なことが、【体】が判るまで
今までどれほど【逃げ回ってきたのだろう。。。。】
7件のコメントがあります
1~7件 / 全7件
こんばんは!
今週も、お疲れ様でしたぁ*
奥が深いですね~
色々、お考えになるんですね。。
無の境地というのも、あるらしいですがぁ~
気付いたり、悟ったりするのには、
素直な心が育たないと、難しそうですね。。。
経験や年齢とかじゃ、ないようなぁ~
今週も、お疲れ様でしたぁ*
奥が深いですね~
色々、お考えになるんですね。。
無の境地というのも、あるらしいですがぁ~
気付いたり、悟ったりするのには、
素直な心が育たないと、難しそうですね。。。
経験や年齢とかじゃ、ないようなぁ~
ゆめうさこさん おはようございます。。。
大変遅くなりました・・・【*人´∪`*】。o○ マジ、ゴメン
この【千日回峰行】が特殊なのは、
=千日回峰行者は、未開の蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟=
という、できなければ、再びやればいい。。。
というものではない。。。ということでしょうか。。
それがために、【過去】に何人かの【死人】を出したようですが。。。
それだけの【覚悟】がなければ、
到底できはしないし、
さらに、
詳細に見てみると=とても、人ができるような事ではない。。。=
という感じがします。。。
つまり=人の感覚=で居たならば、到底できない。。。という感じでしょうか
【人でなくなる・人を超える能力・覚悟】がない者が
近寄るべき物ではない。。。という
まあ、=普通の人は、そんなしんどい事をして何が面白いのか。。。???=
という感じでしょうか。。。
このリンクの=酒井大阿闍梨=は、なかなか過酷な人生を送ってきたようで。。。
その様な【人生】を送ってきた者だからこそ
=現実の世の中=に未練はなかった。。。
まったく【別の世界】を切実に求めた。。。という事情があったのでしょう。。。
私の場合は、別に過酷という人生を送ってきたわけではないですが、
=どうしても消えない【死に対する恐怖・生存しているという不確かさを解消したい=
という思いの先に行きついた処とでもいいましょうか。。。
まさしく【諦観】=逃げ回って・どこへ逃げても逃げられない。。。とあきらめる。。。=
と【覚悟】=自分の性格・資質・気質から見たら、どうしても、それを、しなければおさまらない。。。と自分で自分を納得させる。。。=
と言う事を繰り返してきた事の先に、
以前は、到底できはしない。。。と感じていた物が
【できるかもしれない。。。】と感じているこの頃であります。。。
ようやく、今朝から、=朝マラソン=を始めました。。。
以前は、【勢い】で走っていたものが
これからは、【一日のありきたり出来事の一つ】として
【体】になじむようにしていこうと思います。。。
つまり、=ギリギリの自分=という物を
極日常の物として、【自分の中で自然に持ち続けていられる】
【日々の暮らし】が成立した先には、
また、違う=世界が観えてくる。。。=
気がしています。
まあ、通常の【気づく・感じる】とは、
だいぶ=感じが違うかも知れません。。。=
大変遅くなりました・・・【*人´∪`*】。o○ マジ、ゴメン
この【千日回峰行】が特殊なのは、
=千日回峰行者は、未開の蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟=
という、できなければ、再びやればいい。。。
というものではない。。。ということでしょうか。。
それがために、【過去】に何人かの【死人】を出したようですが。。。
それだけの【覚悟】がなければ、
到底できはしないし、
さらに、
詳細に見てみると=とても、人ができるような事ではない。。。=
という感じがします。。。
つまり=人の感覚=で居たならば、到底できない。。。という感じでしょうか
【人でなくなる・人を超える能力・覚悟】がない者が
近寄るべき物ではない。。。という
まあ、=普通の人は、そんなしんどい事をして何が面白いのか。。。???=
という感じでしょうか。。。
このリンクの=酒井大阿闍梨=は、なかなか過酷な人生を送ってきたようで。。。
その様な【人生】を送ってきた者だからこそ
=現実の世の中=に未練はなかった。。。
まったく【別の世界】を切実に求めた。。。という事情があったのでしょう。。。
私の場合は、別に過酷という人生を送ってきたわけではないですが、
=どうしても消えない【死に対する恐怖・生存しているという不確かさを解消したい=
という思いの先に行きついた処とでもいいましょうか。。。
まさしく【諦観】=逃げ回って・どこへ逃げても逃げられない。。。とあきらめる。。。=
と【覚悟】=自分の性格・資質・気質から見たら、どうしても、それを、しなければおさまらない。。。と自分で自分を納得させる。。。=
と言う事を繰り返してきた事の先に、
以前は、到底できはしない。。。と感じていた物が
【できるかもしれない。。。】と感じているこの頃であります。。。
ようやく、今朝から、=朝マラソン=を始めました。。。
以前は、【勢い】で走っていたものが
これからは、【一日のありきたり出来事の一つ】として
【体】になじむようにしていこうと思います。。。
つまり、=ギリギリの自分=という物を
極日常の物として、【自分の中で自然に持ち続けていられる】
【日々の暮らし】が成立した先には、
また、違う=世界が観えてくる。。。=
気がしています。
まあ、通常の【気づく・感じる】とは、
だいぶ=感じが違うかも知れません。。。=
こんにちは!
おぉ! 凄いですね☆
気付くってことは、大切なことですよね~♪
おぉ! 凄いですね☆
気付くってことは、大切なことですよね~♪
ゆめうさこさん お晩です。。。。。
コメント、アリガトウゴザイマス。。。
いろんな【幸せ】の形がありますが
いろんな処を【旅】し
いろんな【本】を読んだり
たわいもない【妄想】を描いた末にたどり着いた
【幸せの形】とは。。。。。
=自分の中の理想郷=で、
いつもどんな時でも居られる
いられる=諦観と覚悟=でしょうか。。。。
現実的には、
=千日回峰行=的な生き方でしょうか。。。
http://www.sakai-yusai.com/yougo/yougo.html
年を経てくるたびに
【自分】という思いが希薄になってきます。。。
それを、受け入れるのか、否定するのか。。。
私の場合は、【受け入れもしなければ・否定もしない。。。】という感じでしょうか。。。
すべての物を=あるがままに受け入れたとき=に
見えてくる世界。。。
究極まで=自分=という物を追求することで
【自分】という物が、=消えていく世界=
その様な世界を
【旅】にそして、=砂漠=に求めましたが。。。。
ようやく、おぼろげであった【形】が燃えてきたような
気がしている
この頃であります。。。
コメント、アリガトウゴザイマス。。。
いろんな【幸せ】の形がありますが
いろんな処を【旅】し
いろんな【本】を読んだり
たわいもない【妄想】を描いた末にたどり着いた
【幸せの形】とは。。。。。
=自分の中の理想郷=で、
いつもどんな時でも居られる
いられる=諦観と覚悟=でしょうか。。。。
現実的には、
=千日回峰行=的な生き方でしょうか。。。
http://www.sakai-yusai.com/yougo/yougo.html
年を経てくるたびに
【自分】という思いが希薄になってきます。。。
それを、受け入れるのか、否定するのか。。。
私の場合は、【受け入れもしなければ・否定もしない。。。】という感じでしょうか。。。
すべての物を=あるがままに受け入れたとき=に
見えてくる世界。。。
究極まで=自分=という物を追求することで
【自分】という物が、=消えていく世界=
その様な世界を
【旅】にそして、=砂漠=に求めましたが。。。。
ようやく、おぼろげであった【形】が燃えてきたような
気がしている
この頃であります。。。
こんばんは!
連休さん、いかがお過ごしですかぁ?
この日記さん、奥が深いですね。。
うさは、まだ未熟者ですがぁ、
お気持ち、わかる気がしますぅ~
あるがままを受け入れた時から、
何かが、見えてくるのかもぉ?しれませんね☆
ぜひ、ご自分の中の豊かさを感じとられて
みてくださいね♪
連休さん、いかがお過ごしですかぁ?
この日記さん、奥が深いですね。。
うさは、まだ未熟者ですがぁ、
お気持ち、わかる気がしますぅ~
あるがままを受け入れた時から、
何かが、見えてくるのかもぉ?しれませんね☆
ぜひ、ご自分の中の豊かさを感じとられて
みてくださいね♪
〆リルリンチ(札束<花❤束)さん
コメント有難う御座います。。。
正直、【仕方がない。。。。】
という感じでしょうか。。。
よく、
【会話】は、=歌うように=
【歌】は、=語るように。。。=
と言われますが。。。
私の日記は
=私自身に対する歌=のような物
の比重がしだいしだいに、増えてきているような気がしています。。。
昔、【シェルブールの雨傘】
http://www.youtube.com/watch?v=Ne5nLBswGt8
を初めて見たときは、
すべてのセリフが【歌】で、けったいな映画だと思ったものでありました。。。
=もう少し、悲壮感・悲劇・哀切感=を出すためには
すべてを歌にするのは、行きすぎではないかと。。。
しかし、すべてを【歌】にすることで
強烈に残るものがある。。。と
感じる物が。。。
『シェルブールの雨傘』の二人の男女ギイ、ジュヌビエーブには、死を持ってしても二人の愛を貫こうとする姿勢はない。愛には妥協がつき物であり、現実や日々の生活をどう生きるかが第一になる。『シェルブールの雨傘』で、愛は必ずしも永遠ではないのである。社会によって一度引き裂かれた二人は、妥協してまた別の愛や生活を手にしていく。人間の非常にドライな部分、しかし現実的な部分をジャック・ドゥミは見せつける。
http://degreezero.takara-bune.net/cherbourg.html
理想・夢に殉死するのも【美しい】物があるが
=現実=にまみれ・飲み込まれ
【宿命】という物を
あえて【受け入れていく。。。】という事も
それなりに=美しいのではないか。。。=
その感覚を表現するのには
=すべて歌=にすることが、もっとも、適切な物なのではないかと。。。
すべてが【幻】であるならば
何を=悲しがる・嘆く=必要があるのか。。。
すべてを【歌】のように
=リズム=に漂って生きていく。。。事は
あまりにも思い通りにならない
=現実=を生きていく智恵なのでは。。。と
コメント有難う御座います。。。
正直、【仕方がない。。。。】
という感じでしょうか。。。
よく、
【会話】は、=歌うように=
【歌】は、=語るように。。。=
と言われますが。。。
私の日記は
=私自身に対する歌=のような物
の比重がしだいしだいに、増えてきているような気がしています。。。
昔、【シェルブールの雨傘】
http://www.youtube.com/watch?v=Ne5nLBswGt8
を初めて見たときは、
すべてのセリフが【歌】で、けったいな映画だと思ったものでありました。。。
=もう少し、悲壮感・悲劇・哀切感=を出すためには
すべてを歌にするのは、行きすぎではないかと。。。
しかし、すべてを【歌】にすることで
強烈に残るものがある。。。と
感じる物が。。。
『シェルブールの雨傘』の二人の男女ギイ、ジュヌビエーブには、死を持ってしても二人の愛を貫こうとする姿勢はない。愛には妥協がつき物であり、現実や日々の生活をどう生きるかが第一になる。『シェルブールの雨傘』で、愛は必ずしも永遠ではないのである。社会によって一度引き裂かれた二人は、妥協してまた別の愛や生活を手にしていく。人間の非常にドライな部分、しかし現実的な部分をジャック・ドゥミは見せつける。
http://degreezero.takara-bune.net/cherbourg.html
理想・夢に殉死するのも【美しい】物があるが
=現実=にまみれ・飲み込まれ
【宿命】という物を
あえて【受け入れていく。。。】という事も
それなりに=美しいのではないか。。。=
その感覚を表現するのには
=すべて歌=にすることが、もっとも、適切な物なのではないかと。。。
すべてが【幻】であるならば
何を=悲しがる・嘆く=必要があるのか。。。
すべてを【歌】のように
=リズム=に漂って生きていく。。。事は
あまりにも思い通りにならない
=現実=を生きていく智恵なのでは。。。と
権左衛門さん、おはようございます。
哲学的な・・・詩の様な・・・ですね・・
哲学的な・・・詩の様な・・・ですね・・