質問です。幸福とは何でしょうか。

shinichihoshinoさん
shinichihoshinoさん
私にとって幸福とは

お金・時間・健康・家族・友人に恵まれた環境にいることです。

そしてこれは私の人生の目標です。

ある人は言いました

「成功の逆は目標を持たないこと」

そして

「成功と失敗の違いは諦めずに続けるか否かです」

と。

現代日本は恵まれた国です。

なぜなら誰もが、経済的自由を手に入れられるチャンスがあるからです。

努力の積み重ねによって、時間はかかるかもしれませんが、目標に向かって頑張れば必ず道は開けると信じています。

最後にある人は言いました、

「未来を予測する一番の方法は、自分で未来をつくることだ」
5件のコメントがあります
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人は、どの時代に・どの様な地域に生まれ
いかなる家庭の基に育ち・いかなる【性格・体質そして、才能】
を持って生まれるのか。。。

=自分=で決めて生まれてこれるものではありません。。。

その様な状態を人は、【業】をせおって・または
何かをなす為に=この世に生を受けたのだ。。。=ともいいます。

時と伴に【老いていく体と精神】
その先には
命という物の余りの【儚さ】を嘆く物が待っている

どんなに頑張っても
どんなに精一杯生きたとところで
其れが、必ず、報われるわけではない。。。

【現実の世の中】という物の余りにもの=不確かさ=に翻弄され
まるで=波=に翻弄されるように揺られながら
【幸運と不運】の間を、【漂い】
何時しか
【嘆く事も出来なくなるボケが訪れ。。。】
=消えていく。。。=というのが
多くの人の人生ではないでしょうか。。。

その様な人生は、余りにも
【寂しく・虚しい。。。】と感じる者が
【哲学という物を生み出し】
=人生を考え続ける事で、そんな事をしないよりは
より良い人生を送れる。。。=と

だが
その様な深遠な【訳のわからない事】を
はたまた、そんな事を考え続ける【時間】が在れば
もっと他にしなければならない事がある

または、そんなに【考えている時間】自体が
【無駄】である。。。と感じる者たちは

【常】に考えなければ成らない事は無くても
【気】が付いたら
【考え・感じる暇】が出来たら
その時に=今までの自分の生き方を反省しようと思う。。。】
という事で
=ボナンザさん=の言われるような
【心訓】のような物が出来たのでしょう。。。

しかし、その様なことは
【自分の力】を=自分の想い=を高揚し続けなければ
出るものではなく。。。
(成功した人は、=自分を信じよう・信じてあげたから
だという人が居ますが。。。)

それは、大変【シンドイコト】であります・・・

大概の人は【判っちゃいるけど止められない。。。】と
いうのが本音のところでしょう。。。

=煙草は、体に悪い=と判っているけれど
中々、止められない。。。というような
例は、数限りあるのではないでしょうか。。。?

どうしても、自分の人生を【自分で決めて生きてゆく。。。】
だけの=力=は、自分にない。。。と自覚した者達は、

または、もう、訳のわからない
【波】に翻弄されて生きていくのが
【心の底から嫌になった。。。】と感じる者たちは
【宗教】という物を生み出し

=神=という物を創造したのでしょう。。。

(神に総てをゆだね=神の奴隷=に成る事で
充実した人生を送ろうとした。。。

現在に世界的に力を持っている【ユダヤ教】は、
=日々を本当に細かく規制されています=
しかし、其れを実践することで、変な【陶酔感】が
生まれるようで。。。

その様な感覚では、【業】とか・【宿命】とか
=神の意思=とか・使命という言葉は、自然に聞こえるのかも
知れません。。。)

現在は、特に【日本】では、余り
【神】という存在は、重要でないような感じで。。。

=shinichihoshinoさん=の様な
(何が分かるのかといえば、目に見える今です。
銀行の残高
・悩んでる時に相談できる友人の数
・ホントに困ったときに支えてくれる家族
・そして健康な体
です。

私は、これらを大切にしていきたいと考えています。 )
という考え方にナツテイクのも
【自然な事】だと思います。。。

もっとも、他の国よりも【幸せ?】と感じる日本でも
【shinichihoshinoさん】のように考える事が出来ない人は
数限り居るでしょう。。。

その点から言えば、=shinichihoshinoさん=は、
之まで【幸せな人生】を歩んでこれたのだと思います。。。

(最初に=幸福とは何でしょうか。=と書く事自体
幸福など考える事も出来ない人生を送ってきた人の事は
どの様にしても判らないだろうと。。。感じた物で。。。)

【幸せにうまれ・幸せな人生】を送って来たものは
其れを、維持し・それから離れない人生を送ればいいのだと思います


別に殊更=不幸せな人達=の人生を鑑みて
【自分の人生】を振り返る必要は無いと思います。。。


所詮人は、【何よりも自分が一番可愛い】のであって
=無償の愛=等という幻想に惑わされて自分の人生を台無しに
する必要は無いと思います。。。=

だか、
ただ、何か、物凄く【詰まらない】
ただ、何か、物凄く【今ココに生きている!!!】という感じがしない
とその様な人生を送ったならば
感じるかも知れません。。。?


【常】に=幸福を考え・成功を願い続けて=
「未来を予測する一番の方法は、自分で未来をつくることだ」
と思い続ける人には、
何故、【幸せになり・成功しなければならないのか。。。?】と
尋ねてみたい思いがあります。。。


成功を望み=未来=を見据え
目標を持ち諦めずに努力する事に、
【本当に意味があるのか。。。?】と。。。

インドの思想に対して
①現実の苦しみから逃れるため

②昔の権力者が人民にたいして、
この様に訴えることで、富を独占しようとしたから

※人民がお金なくて幸せと考えれば、
苦しい生活を強いられても暴動や革命が起きないから

であると考えます。

という意見は、もつともな事だと思います。。。

しかし、私の感じでは。。。

【世の中に=人として・または、生き物として=
生き続ける事は、疲れる。。。】と
そして、また、死んでも
同じように【この世に生を受けていく続けなければ成らない。。。】
という事が、たまらなく嫌で・恐怖だと。。。

【心の底から感じてしまったのではないか。。。】
という気がしています。。。

初めて、【インド】を訪ねた時は、
もう、二度とこんな【汚いところは来たくない!!!】と思ったものでありました。。。

しかし、他の色んな国を訪れて
色んな【国の光景】を見ているうちに
=インドの物凄い汚さ=が非常に懐かしくなってきた物であります。。。

大都会の中でも
【牛】が闊歩し・ほんの少し地方に行けば
【サルが・孔雀が普通に見られる】

其処には、=人間=が一番大きな顔をしている風景はなく
総てが【渾然とした一体感があって何か言われない安心感が。。。】

ふと気がつけば、=道に横たわっている人=が居て
よく見ると、其れが【死体】だと気がついても
別に驚く事でもなく

=生があれば、死があるのが自然である。。。=という感覚。。。

其れが、物凄く
【日本の自由】と違う
それは、生き物としての
=限りない自由=という物なのかも知れません。。。
(死ぬまでは、勝手気ままに生きてゆき
命が尽きれば、【肉体】は、何の意味も無くなつていく。。。)

その様な風土が何故に、出来上がってきたのか判りません
しかし、
【インド】を訪ねる人の中で、
【インドに嵌る人】は、おそらく、その【自由さ】に
取り憑かれた人が多いのではないかと。。。

まあ、しかし、その様な感覚は、
【日本】では、通用しないし
【日本】では、ある種=世捨て人・落伍者=的に
見られることでしょう。。。

現実的な、【経済的自由を手に入れられる事】
つまり、【裕福】に成る事を
=成功=と感じ・それに至る行程が
何よりも【幸せ・生きがい】なのだと感じる
【生き方】も捨てがたいものが有ります。。。

私の場合は、其れを、どちらも手にするためには
どの様に生きたらいいのかという事を考え続けた
【半生】だったという事が出来ると思います。。。

=今=を生きるのではなく
=今、この瞬間を生きてゆく=という感覚でしょうか。。。

もっとも、【瞬間】を生きるためには
【考えていたのでは】=瞬間=を掴む事できない。。。

【考えずに感じる事が何よりも大事である。。。】と
しかし、如何すれば、【感じられるのか。。。】という事に
膨大な時間を費やした物でありました。。。
ボナンサさま

コメントありがとうございます。

このような心訓があるとは知りませんでした。

とても心を打たれる言葉であると思いました!

道に迷った際に、この心訓を思い出すようにします。

教えて頂きありがとうございます。
こんばんは。
 幸福というと、いつも福澤諭吉の心訓を思い出します。
この心訓を心に刻み、強く生きようとすることこそが、私の幸福になります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E5%BF%83%E8%A8%93

心訓
一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
権左衛門さま

コメントありがとうございます。

なぜインドではそのような思想になったのでしょうか。

私は、この様な思想は

①現実の苦しみから逃れるため

②昔の権力者が人民にたいして、この様に訴えることで、富を独占しようとしたから

※人民がお金なくて幸せと考えれば、苦しい生活を強いられても暴動や革命が起きないから

であると考えます。

もちろん、違う考え方もいろいろあると思いますが、死後のことは誰にもわからないし、神の存在もホントのところ分かりません。

では、何が分かるのかといえば、目に見える今です。

銀行の残高・悩んでる時に相談できる友人の数・ホントに困ったときに支えてくれる家族・そして健康な体

です。

私は、これらを大切にしていきたいと考えています。

よろしければ権左衛門さんの意見、価値観を知りたいです。
素晴らしい=幸福感=で。。。。

成功するように頑張ってください!!!

しかし、変わった人達も在るようで。。。

インドでは、
最後は、無いも持たない・何も求めない。。。

そして、死んでも、誰にも弔ってもらう事も要求しない

【サドゥ】になる人が居るようで。。。。
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/sadhuqa001.html

遊行期(サンニャーサ、samnyāsa) に入る事を目指しているようですが。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%9E

まあ、インドへ行けば
よくもまあ【こんな生活】で如何見ても望みも何も無いのに
=生き続けることができるな~~~=と驚嘆する

【ゴミのような暮らし】をしている人たちに出会います。。。

その人たちにとって、【現実】が不幸せだったら
来世は、【幸せ】になれるという思いがあるようにも聞きました。。。

=現実だけが総てではない世界。。。=の一例では在りますが。。。
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