権左衛門さんのブログ
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泥の中にこそ=蓮=は、咲く。。。
2009/8/10 5:58 AM
ある程度、年を積み重ねてくると
【嫌】でも、色んな事を経験する物で。。。。
其れが良い事ばかりならば、何の文句も【愚痴も嘆き】も無いのだが
殆どは、=嫌な事・不快な事・忘れてしまいたい事=等で
人に寄れば、それは、【神に試されているのだ。。。】
と訳のわからない
=ふざけた事!!!=をさも訳知りにほざく者が居たりする
時によっては【殺意】を覚えたりする場合も。。。
=お前は、何をわかっているのか!!!=と
その様な文句で、どれほど多くの人が
【自分】という物を捻じ曲げされた人生を送ってきた事か。。。
しかし、現在は、【自分】という物を可能な限り
=夢見続けるのが、生きていると言う事だ=と
今まで生きて来た【生き方・処世術】と反対の事を
これまた、訳知りにいう者が。。。
【才能が無い者】が、=自分の才能=を信じすぎて
誰が見ても【不可能な事】を負い続ける事が、
良いことなのか!!!
なんと【無責任】な事を言うのか。。。と
思ってしまうことも。。。。
しかし、【才能】があろうと無かろうと
生きている【時代】が、【社会】が、
道徳・倫理等という物が、
=嫌=な事が更に力をつけて
【見えない鎖】を自分の体に
=意識知らずに自分で巻いている現実=がある。。。。
その様な事から、守ってくれる物として
現在社会では、=金の力=という物があるのだろう・・・
ある程度の【不自由しない金】がある事で
=人にバカにされずにすむし=
=社会に権利を主張したり・哀願する=という馬鹿げた事を
する必要が無い。。。
そして、【必要以上の金】は、=株=等と言う物に投資する事で
【世の中の汚れ・泥】の状況を判断するために使う。。。
それによって、
泥中之蓮(でいちゅうのはす)
http://chiyokyu.exblog.jp/8602575/
と言われるる様な
ある種【夢の様な生き方】を
現実に生かすためには。。。。
=泥の中=に入れば、染まってしまうような事から
そして、【泥】自体を見るのも嫌だと
目を背けて生きて行く生き方とは違う
【泥の中】で、=泥まみれ=に為りながらも
その【泥の力】を利用して
【花】を咲かせる人生を送る事が出来るのではないか。。。。?
(涙)。
全くその通りです。
ひねくれて、または、
【正直すぎて】=世の中=という物をまともに
【観すぎる】と本当に、色んなこれは、
=違うのではないか。。。?=
という事に出会います。。。
大概の人は、=現実とは、そんな物さ。。。=的な感じで
流して生きていける【智恵?】を何時の間にか
【身につけて】居るものでありますが。。。。
どうも、【私】の場合は、
どうも、其れが=ギリギリまで考え続けなければ=
納得できない。。。という【業(ごう)】を背負っているような
感じで。。。
その様な性格は、=世渡りは、余りうまくいかない。。。=と
いう感じに成るようで。。。。
【適当に生き・適当に遊び・そして、終りが見えたら
見苦しくなく=適当にオサラバできたら=【大人】である】
といえるのかもしれませんが。。。?
最後の最後まで=見苦しく足掻いてみようと思っている。。。=
この頃で在ります。。。
最近、【中東】に嵌って
=砂漠=ばかりを放浪しています。。。
【何も無い世界】
だからこそ=限りない想像の世界・または、妄想の世界=を
広げられる。。。
嫌、【広げなければ生きていけない・生存できない】世界に
限りないく惹かれています。。。。
http://www.youtube.com/watch?v=1wvKRdGQNT4
↑は、去年、リビアの砂漠へ行って【座禅】をしてきた
周りの景色です。
回り一面【砂だけしかない世界】という物の世界の中で
キャンプをして感じた事を、中々表現するのは難しいですが。。。