宮ちゃん◎リーマンさんのブログ

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中国株で1億円儲けた!(3/4) 小泉鉄造

さらに低迷を続けた中国本土株

1999年は、中国本土の上海B株、深センB株が最安値をつけた年でした。

上海B株は2月には30ポイント以下にまで下がりました。株価でいうと、10円以下の銘柄も続出しました。上海塩素アルカリ、上海ラバーベルト、上海タイヤ&ラバーなどがそれに当たります。この3社は、売上げが前年度と同様か下回っていました。営業利益もラバーベルトとタイヤ&ラバーがマイナスでした。しかし、純利益では3社とも黒字です。ここまで安くなる理由は見当たりません

私にはB株に対する市場人気のなさの表れだとしか考えられませんでした。海外の投資家からは見放されていたのです。やはり、国有企業に対する国のリストラが山場を迎え、企業も改革の真っ最中というところだったので先が見えづらかったのが最大の原因でしょう。優良株の陸家嘴でも30円以下、東方通信でも30円台と、もうめちやくちやのバーゲンセールでした。

これでは、まるで中国がつぶれてなくなってしまうとでもいうかのような、将来は真っ暗といった感じの株価です。普通の投資家が中国株に悲観的になったために下がっているのですから、一般の人は怖くて手が出せなくて当然です。

しかし、私たちの考え方でいえば、今の市場では少ない金額でも株数が多く買えるのですから、買うしかないのです。だから当然、コツコツと買っていきました。国有企業の改革も順調にいっているようですし、電力会社などは売上げ、利益とも毎年伸ばしていました。市場不安で下がっているだけなのです。現実の利益がものをいうと考えれば、ここは買っていい銘柄が多くあったのでした。

そのときの私たちの悩みといえば、手持ちの資金が少なくて買いたくてもなかなか買えないことです。

とはいうものの、ここまで下がってくると、グループのメンバーもさすがに全員、恐怖感をいだき始めていました。理屈では買い場とわかっていても、やはり怖いのです。体が固まってしまうのです。普通の人間なら誰でもそうでしょう。さすがの私も、買いとはわかっていても、心の底には不安もありました。しかし、株には四つの方法しかありません。買うか、買わないか、売るか、売らないか。だから私はメンバーには、

「大バーゲンセールが向こうからやってきてくれた。最大のチャンスだ」

と言っていました。

アメリカの投資家、ウォーレン・バフエットの言葉に、「全員が恐怖を感じ、市場に近づかないときこそ本当に買い場なのだ」というものがあります。私はこの言葉をたとえにあげ、メンバーに

「今こそ買い場なのだ」と言い続けたのです。

「小泉さんはいつも買い場なのね」

しまいには、そうあきれられるくらい、言い続けました。それも97年の暴落直後から2年間ずっと言い続けていたのです。株価はいずれ上がる、上がるしかないのだから、と。

べつに祈りが通じたわけではないでしょうが、この時期を境に、B株は少しずつですが上昇し始めました。

この背景にはアジア危機の影響も多少はありますが、実際はB株企業が努力をして、リストラなどを行い、市場に生き残るための活路を見出そうと必死に頑張ったために、業績が上向く企業が多ぐなってきたことも根底にはあると思います。

そして、この頃になると、ダメな企業と優良企業の差が出てき始めました。

今までのように国の政策にかよっていては生き残れないと気づいた企業は、みすがら改革し、その結果を出し始めていました。今までは中国株といえば、各企業自体というよりも中国に対する企業の夢を買っていた部分が少なくなかったと思われますが、各企業の業績により判断される本来の姿に移行し始めた時期だったのです。今回の最安値は生みの苦しみだったのでしょう。

最安値から株価が少しずつ上がってくると、グループには、
「これまで10円で買えたものが、15円出さないと買えない」
という声が出始めました。

最安値を知っているだけに現在の株価が高く感じられるわけです。

それでも99年は、グループでも個人でも、比較的安値で株数を多く買うことができて、資産がふくらんでいった年でした。当然、無償株も配当金も出す企業が多く、こちらでも株数は着実にふくらんでいきました。

香港市場のH株、レッドチップは上げ下げをくり返しましたが、指数的には少し上がった年でした。99年の配当金は35万円と、前年を大きく上回ったのです。


ポロ株が優良株に変身

2000年になると、B株は年明けに少し下がりましたが、その後は少しずつ上がっていきました。投資グループでも、前年のように安値では買うことができないものの、コツコツと買い続けました。

この頃(じつは以前からなのですが)、収益のよくないポロ企業が優良企業に変身するとうことがひんぱんに起きていました。上場している企業の親会社からアセットインジェクヽヽ ン
注入)を受けて生まれ変わるのです。

こんなことがありました。

私は、上海B株の上海物資貿易という商社の株を買ったことがありま 。予想では数年後優良企業に変身するはずだったのですが、意に反して売上げのわりに利益率が低く、低迷を続けていました。当然、私も見切りをつけて、そこそこの値段で売ろうと思っていたのですが、なぜか売りそこなっていました。

そんな中、あるとき、アセットインジェクションの話を聞きました。同社の不良資産を親会社である上海物資集団に売却し、その見返りとして業績の安定した上海燃料総公司浦東公司(石油製品小売)を同社に注入したのです(アセットインジェクション)。上海燃料総公司浦束公司の石油製品および営業ネットワークは、上海市場の総供給量の七〇%にもおよびます。当然、このアセットインジェクションにより業績は一変し、2000年上期の売上げは160%増、純利益は770%増となりました。

私は売るのをやめて様子を見ることにしました。まさにボロ株が優良株に変わったのですから、この先、同社がどのくらい伸びるかを見極めて、保有し続けるか、一部を売却するか、または全株売却するかを決めることにしたのです。

その他、上海フレンドシップ(小売・百貨店)が親会社から中国最大のスーパーチェーン「聯華」と物流基地「復興島」を譲り受け吸収合併したことで業績が大帽に改善され、2000年度の売上げは839%増、純利益も66%増と、さらに改善されました。

アセットインジェクションではありませんが、他社との合併で強くなった企業もあります。上菱電器はもとは冷蔵庫メーカーでしたが、日本の三菱電機から技術を導入されたものの競争激化で業績不振におちいりました。しかしその後、三菱との合弁でエレベーター共同事業の部門を作り、この部門が高収益を収めるようになったのです。

その他、他業種に造出していった企業もあります。

たとえば上海海獣という企業は人造毛皮製造の会社でしたが、バイオ業界に進出してこの先が期待されています。上海ラバーベルトという会社はもともとコンベアベルトの会社でしたが、医薬品の「三元企業」がこの会社の株式三〇%を取得してからは、医薬業にも造出しています。

このようにして、企業が強くなる例は少なくありません。今までの日本なら、毛皮製造会社が薬品に進出することなど考えられないでしょうが、中国の企業は違うと思いました。日本のモノサシで測っていては、いろいろと大事なことを見落としてしまうに違いありません。

でも、いつポロ企業が優良企業に変身するかは、事前にはわからないものです。だから私の投資スタイルとしては、変身しそうな企業の株を買うのではなく、すでに変身して、なおかつこれからも優良企業でいられると思う企業の株を選んで買うしかありませんし、これがベストだと思っています。


買う銘柄数を多くしている理由

グループでも個人でも、買った銘柄の種類はけっこう多くあります。これには明確な理由があります。

いくら優良企業だとしても、まだまだ不安定です。だからいいと思われる企業の株を手広く買っておきます。アセットインジェクションなどがあって、伸びる企業とそうでない企業はなかなか見分けがつきません。買った企業の中から出てくればいいと考えるのです。将来性がなさそうな企業は、そう判断した時点で売却し、他の優良銘柄を買っていけばいいのです。

それに無償株の問題もあります。たしかに一銘柄に絞って買った株に毎年のように無償株がつけば、それは素晴らしいことです。しかし、つかなかったら悲惨このうえありません。ここでもある程度の銘柄数があれば、必ずといっていいくらいにどこかの企業に無償がつきます。そして全体として株数が増えていくのです。

それにもともと優良企業の株を買っているのですから、その点でも安心していられます。

しかし私にとって困ったことに、B株はもう格安では買えなくなってしまいました。そういう時代に入ってきているのです。

2000年の配当金は80万円でした。



4章 ついに1億円突破!

突然の売買停止、B株市場に何が起こったのか

2001年が明け、いよいよ新しい世紀に突入したというのに、私の胸は何かもやもやしたもので満たされていました。

じつは、2000年の暮れあたりから、中国株を買っていくことに、私は疲れてきていたのです。

今も未来も考えたくない心境とでもいうのでしょうか。2005年、2010年といった中国経済の先を考えて成長企業を探し求めていたのですが、そういった企業の株が利益を生み匿すのにこの先、何年かかるかわからない。そういった曖昧な状態に、いやけがさしてきた時期でもあったのです。ひと言でいえば、「もう疲れちやった」という感じでしょうか。

さらにもう1つ、97年の暴落から安値で株を買い続け、株価でいうと60ポイントくらいが妥当値かなと思っていました。ちょうどそのくらいとなっていた当時の価格は私にとって安くもなく高くもないという水準です。

それまでの2年間の安値買いが終わり、一息ついて気が抜けた状態だったのかもしれません。大きな勤きは把握していますが、心ここにあらずでただ市況をながめているだけというのが、当時の私の状態でした。

そんなとき、ある衝撃的な出来事が起こり、私の日常は一変したのです。

2月17日、18日とB株の株価が一日に7~8%、2日続いて上昇しました。82ポイント程度にまで上昇したのですが、そのときはまたすぐに下がるだろうと思っていました。

ところが、翌19日朝の10時過ぎにインターネットで中国株の株価をチェックしたところ、値がついていないではありませんか。不思議に思ってさらに調べてみると、上海・深セン市場の売買が停止されたというコメントがありました。どうして停止されたのかが知りたくて証券会社に電話で問い合わせてみましたが、証券でもわからないといいます。昼頃には情報が人るだろう、とのことでした。

(中略)

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