元兵庫県知事の斎藤氏が、再び知事に当選したことは、兵庫県の県政の混乱が、終わらないことを示している。新知事と議会との対立は、深刻なものとなると思う。
それと、この選挙では、ヤフーの斎藤氏の応援する同じニュースが、数多く流れた。これも問題である。新聞ではないが一部の候補者を応援するようなニュースの方法は問題がある。これは、機会があれば、ブログにします。
それに対立する候補者を否定するような同じニュースも、何度も流れた。これは斎藤氏を応援するニュースとは逆に、斎藤氏を応援するニュースとは下の方にあり、見えずらい、見出しの下の方でもあった。
兵庫県の県政の混乱は、当分続く。ここで、損をするのは兵庫県民である。
この人は、他人の意見を聞くような人ではない。全て、自分だけの世界であり、その世界だけで、生きている人である。そのような価値観の人である。そういう訳で、前の出来事は、反省して直そうとはしない。これで、全て、振り出しに戻ってしまった。しこった状態での振出である。まあ、最悪の状態と言ったのが、よいだろう。
日経新聞11月1日(金)社説からです。
1 兵庫県の斎藤前知事が、自らへの告発文書を公益通報として扱わず、告発者を処分した問題で、県議会が不信任案を決議し失職した。
2 選挙は、一連の問題に対する前知事の道義的、政治的責任を問う場になる。
3 前知事は、文書の内容をひぼう中傷性が、高いとして告発者を処分した。その後、元幹部職員は自殺した。
4 公益通報者保護法は、告発者探しや不利益な扱いを禁止している。
前知事が、告発者を公益通報者として扱わず、告発者を処分したのは、違法性があるのではないか。
5 この問題は第3者委員会が調査している。
6 調査報告は、百条委員会が年内にも、第3者委員会は来年3月にそれぞれまとめる予定。前知事の違法性、法的責任があるかは、これらで一定の決着がつく。
7 法的責任とは別に、道義的政治的責任もある。前知事は失職時に、「知事が職を辞すべきことなのか」と述べた。道義的、政治的責任をどう考えているのかは、この言葉に尽きている。
8 知事の資質が問われている問題に、県議会が全会一致で不信任案を決議した時点で、自ら身を引くべきだった。
(コメント)
兵庫県前知事は、7の「知事が職を辞すべきことなのか」と述べたことですが、これは、知事として辞めなくてもよいと言っているのではないか。ここを考えると、この人は、頭が普通の人の考えではない。前のブログでも書きましたが、この人は、他人の立場や、言っていることが、全く理解できない人である。自分の思う世界だけで、生きている人である。
この人には、この世界は自分の思う世界だけであり、他の人の考える世界は、無いのである。だから、県議会が全会一致で不信任案を決議したことも、全く理解できないのである。
県の職員が、自殺したことも、この人には、自分とは関係のない出来事と考えている。別の世界の出来事と考えている。だから、申し訳ないとかは、全く、考えていないのである。
ニュースでは、駅の前に毎日立って、挨拶をする。それが、この人は根性が有ると言われたが、わたしから見るとそうではないのである。この根性とは、普通の感情の人が、やりたい欲望を抑えて頑張っているのが、根性あるのであるが、この人の場合は異なる。それは、その性格が、根性が無くても、自然に、そうさせているのである。
それと、これは既に、実質的な選挙運動をしていたのである。立候補する前の、駅の前で挨拶するのは、実質的な選挙運動ではと思われる。これが、根性が有るのかい。
この性格は、素人からは分からないが、その価値観の異常性がある。これ以上は、分かりませんが。
とにかく、この人は、立候補するべきでは、なかった。この辺も、普通の価値観を持っている人とは、ずれている。