もう、この先、10年は無理だろう。せめて、後5年は何とかしたい。
しかし、何時、お迎えが来るか分からない。死ぬときには、悟りの状態で、死にたいが、これは駄目である。
そこで、出てきたのが、この一日をきちんと生きることである。
これなら、特に努力しなくとも、毎日の訓練で、何とかなるだろう。
今の身体の状態は、身体障害者の第1級である。詳しいことは、分からないが、それだけ、生活が不自由することだろう。今、2か月に一度、外来で血液検査をしている。腎臓の状態が、透析までは行かないが、要注意状態である。
腎臓の機能は年齢と共に衰えてゆく。これは誰でもそうだ。ここで無茶をすれば、急に身体が、おかしくなると思う。
そこで、もう無理をせず、毎日を生きているだけの、生活になってしまった。
思うに、酒が好きで、63歳で急死した人がいた。聞けば、あんな生活をしていれば、何時死んでも、おかしくない生活だったという。こんな事を頭に描き、そうならないように、節制して生きている。
今はもう、特に、これといった欲望はあるけれど、諦めている。死ぬのを、待っているようなもんだ。毎日を、ひとつずつ、またひとつずつ、やってゆく。こんな生活である。それが、ひとつずつ簡単なことであるが、やってみると、気分が落ち着く。健康にもよい。
少し前から、身の回りを、整理しだした。民間の身体の保険は、全て終了。銀行預金も、使わないものは、解約した。600冊あった本をかたずけている。
今は30冊くらい。苦労して、卒業した慶応大学の学位記は、記念である。頑張った証拠である。これは、残しておく。後の人が、卒業の年齢が46歳には、驚くだろう。